改訂新版 世界大百科事典 「貯蔵穴」の意味・わかりやすい解説
貯蔵穴 (ちょぞうけつ)
食料などを蓄えるため地中に掘りくぼめた〈あなぐら〉。屋内に作りつけたものと屋外に設けたものとがあり,後者には,蓋あるいは屋根を備えた跡をとどめるものがある。平面円形で口広く底の狭いのが一般だが,屋外の貯蔵穴には,逆に底の方を広く作ったものもある。概して屋内の貯蔵穴は小さくて浅く(径・深さとも数十cm),屋外の貯蔵穴は大きく深い(1~3m)。現在知られている最古の貯蔵穴は,後期旧石器時代(約2万年前)に属し,屋内の貯蔵穴,屋外の貯蔵穴ともに建築材・骨器の素材としてマンモスの骨が蓄えてある(ロシアのコスチョンキ遺跡群,ドブラニチェフカ)。西アジアでは,中石器時代の住居の屋内に貯蔵穴がある(パレスティナのエドワド洞窟前庭)。日本では先土器時代の遺跡でも貯蔵穴らしいものの存在が知られている(新潟県荒屋遺跡,静岡県広野北遺跡)。縄文時代の竪穴住居に貯蔵穴を作りつけたものがある。また東日本の屋外の貯蔵穴には,底の方を広く作ったもの(フラスコ状土壙)もあり,屋外の貯蔵穴にはドングリ,シイなどの堅果を蓄えている。
農耕が始まると,貯蔵穴は特に乾燥した地方で穀倉として発達し,湿潤な地方の高床穀倉と対照をなしている。エジプト新石器時代のファイユーム遺跡(165基),中国新石器時代の半坡遺跡(200基)のように群在することも多い。日本は湿潤であるのにもかかわらず,弥生時代(前期~中期初め)の九州北部,山口県下で,口より底の広い貯蔵穴(袋状土壙)が群在している(山口県綾羅木郷(あやらぎごう)遺跡,911基)。水はけの良い土壌の部分を選んで作ったことが知られている遺跡もある。ただし,弥生時代にも低湿地の貯蔵穴にドングリなどを蓄えたものもあり(長崎県里田原(さとたばる)遺跡),あく抜きとの関連が説かれている。古代国家が経営した貯蔵穴としては,中国河南省洛陽の含嘉倉(がんかそう)(隋・唐代)が名高い。壁で囲んだ612m×750mの範囲に,径8~18m,深さ6~12mの貯蔵穴が数百基整然と並ぶ。
執筆者:佐原 眞
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報