竹島幸左衛門(読み)たけしま・こうざえもん

朝日日本歴史人物事典 「竹島幸左衛門」の解説

竹島幸左衛門

没年正徳2.11.24(1712.12.22)
生年:生年不詳
元禄期,上方の立役の歌舞伎役者初名日本左衛門。初期歌舞伎の名優日本伝助の子。弟に道外形役者竹島兵八がある。父のもと修業をし,延宝年間(1673~81)には一時江戸に下ったが,その後は主として上方の舞台を勤めた。元禄の初めには,荒木与次兵衛,藤田小平次と共に立役の三幅対といわれた。元禄16(1703)年大坂で座本をしているときに,近松門左衛門よりも早く「曾根崎心中」の歌舞伎を上演し,丁稚長蔵を演じた。容貌がすぐれず,濡れ事,やつし事が不得手であったが,「武道実事の開山」といわれ,名人として人々に親しまれた。2代目は養子が継ぎ,以後宝暦まで4代を数えた。<参考文献>『歌舞伎評判記集成』1期

(北川博子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹島幸左衛門」の解説

竹島幸左衛門(初代) たけしま-こうざえもん

?-1712 江戸時代前期-中期の歌舞伎役者。
初期歌舞伎の日本伝助の子。父のもとで修業し,日本左衛門を名のる。延宝のころ江戸で演じたのち大坂にもどり嵐三右衛門座の大立者となる。藤田小平次,荒木与次兵衛とともに三幅対の名人と称された。正徳(しょうとく)2年11月24日死去。大坂出身。

竹島幸左衛門(3代) たけしま-こうざえもん

?-? 江戸時代中期の歌舞伎役者。
2代竹島幸左衛門の子。はじめ竹島幸太郎を名のり,享保(きょうほう)6年(1721)大坂竹島座で若衆役をつとめる。13年3代目をついで座本となる。14年以降は名がみえず,わかくして没したらしい。

竹島幸左衛門(4代) たけしま-こうざえもん

?-? 江戸時代中期の歌舞伎役者。
2代中村十蔵の門人となり,中村住平を名のって大坂の舞台で敵役をつとめる。宝暦11年(1761)京都の佐野川若松座で4代目を襲名したが,翌年旅回りにでてもどらなかった。初名は竹島平太郎。

竹島幸左衛門(2代) たけしま-こうざえもん

?-? 江戸時代前期-中期の歌舞伎役者。
初代竹島幸左衛門の養子。はじめ竹島幸十郎を名のり,正徳(しょうとく)5年(1715)沢村長十郎座で2代目を襲名。大坂,京都で活躍して,初代沢村長十郎とならび称された。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android