デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹島幸左衛門」の解説
竹島幸左衛門(初代) たけしま-こうざえもん
初期歌舞伎の日本伝助の子。父のもとで修業し,日本左衛門を名のる。延宝のころ江戸で演じたのち大坂にもどり嵐三右衛門座の大立者となる。藤田小平次,荒木与次兵衛とともに三幅対の名人と称された。正徳(しょうとく)2年11月24日死去。大坂出身。
竹島幸左衛門(3代) たけしま-こうざえもん
2代竹島幸左衛門の子。はじめ竹島幸太郎を名のり,享保(きょうほう)6年(1721)大坂竹島座で若衆役をつとめる。13年3代目をついで座本となる。14年以降は名がみえず,わかくして没したらしい。
竹島幸左衛門(4代) たけしま-こうざえもん
2代中村十蔵の門人となり,中村住平を名のって大坂の舞台で敵役をつとめる。宝暦11年(1761)京都の佐野川若松座で4代目を襲名したが,翌年旅回りにでてもどらなかった。初名は竹島平太郎。
竹島幸左衛門(2代) たけしま-こうざえもん
初代竹島幸左衛門の養子。はじめ竹島幸十郎を名のり,正徳(しょうとく)5年(1715)沢村長十郎座で2代目を襲名。大坂,京都で活躍して,初代沢村長十郎とならび称された。