竹本大隅太夫(読み)たけもとおおすみだゆう

精選版 日本国語大辞典 「竹本大隅太夫」の意味・読み・例文・類語

たけもと‐おおすみだゆう【竹本大隅太夫】

  1. 義太夫節太夫。三世。本名井上重吉。大坂の人。初名春子太夫。明治一七年(一八八四)大隅太夫を襲名彦六座三味線名人豊沢団平と組んで活躍した。摂津大掾とともに明治期の代表的太夫。安政元~大正二年(一八五四‐一九一三

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改訂新版 世界大百科事典 「竹本大隅太夫」の意味・わかりやすい解説

竹本大隅太夫 (たけもとおおすみだゆう)

義太夫節の太夫。(1)初世(1797-1864・寛政9-元治1) 大和初瀬に生まれる。16歳で竹本播磨大掾に入門。百合太夫,4世三根太夫を経て,1838年(天保9)大隅太夫となる。国名の使用を避けて大住太夫と表記したこともある。幕末期の名人。(2)2世 生没年不詳。初世の門弟。初名竹本伊達太夫。1865年(慶応1)に2世をつぐ。のち失明して京都で没。(3)3世(1854-1913・安政1-大正2) 大坂順慶町の生れ。本名井上重吉。19歳のとき5世竹本春太夫に入門し,竹本春子太夫を名のる。1884年に3世襲名,90年に彦六座の櫓下(やぐらした)となった。《壺坂》《合邦(がつぽう)》などが当り芸。1913年台湾巡業中に没。明治期の名人。(4)4世(1882-1952・明治15-昭和27) 本名永田安太郎。1903年3世に入門。初名竹本静太夫。27年に4世をつぐ。(5)5世(1903-80・明治36-昭和55) 本名高田峰雄。1930年文楽座に入座。隅若太夫,2世静太夫を経て,60年に5世となる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「竹本大隅太夫」の意味・わかりやすい解説

竹本大隅太夫
たけもとおおすみだゆう

義太夫(ぎだゆう)節の太夫。初世、2世ともに名手であったが、とりわけ明治時代に活躍した3世が名高い。

[倉田喜弘]

3世

(1854―1913)幕末の名人5世竹本春太夫(はるたゆう)に師事して、竹本春子太夫(はるこだゆう)を名のる。1884年(明治17)2世豊沢(とよざわ)団平を彦六(ひころく)座に迎えて相三味線としたとき、3世を襲名した。音遣(おんづか)いが巧みで、情合いの表現に優れ、『壺坂観音霊験記(つぼさかかんのんれいげんき)』を流行させたほか、『絵本太功記(えほんたいこうき)』「尼ヶ崎(あまがさき)」の段、『嬢景清八島日記(むすめかげきよやしまにっき)』「日向島(ひゅうがじま)」の段、『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』「熊谷陣屋(くまがいじんや)」の段などを得意とした。当時の文楽(ぶんらく)座の2世竹本越路太夫(こしじだゆう)(後の竹本摂津大掾(せっつのだいじょう))に対し、彦六座系の総帥ともいえる地位を占めたが、台湾巡業中の大正2年7月31日に死没。門弟の竹本静太夫(しずかだゆう)(1881―1952)が4世を襲名し、豪放な語り口時代物を演じた。

[倉田喜弘]

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「竹本大隅太夫」の解説

竹本 大隅太夫(3代目)
タケモト オオスミダユウ


職業
義太夫節太夫(文楽)

本名
井上 重吉

別名
前名=竹本 春子太夫(初代)(タケモト ハルコダユウ)

生年月日
安政1年

出生地
大坂・順慶町(大阪府)

経歴
19歳のとき5代目竹本春太夫に入門し、春子太夫を名乗る。明治17年彦六座に参加、2代目豊沢団平が相三味線となり、3代目大隅太夫を襲名。以後、団平のきびしい指導を受けて修業し、23年彦六座の櫓下(やぐらした)となり、摂津大掾とともに明治義太夫界の双璧をなした。「壺坂霊験記」「合邦」などが当たり芸。

没年月日
大正2年 7月31日 (1913年)


竹本 大隅太夫(5代目)
タケモト オオスミダユウ


職業
義太夫節太夫(文楽)

本名
高田 峰雄

別名
前名=竹本 隅若太夫,竹本 静太夫(2代目)

生年月日
明治36年 7月18日

出生地
兵庫県 神戸市

経歴
父・豊沢団治の手ほどきをうけたあと、昭和5年4代目竹本大隅太夫に入門、隅若太夫を名乗る。25年2代目静太夫を経て、35年5代目大隅太夫を襲名。

没年月日
昭和55年 2月11日 (1980年)

家族
父=豊沢 団治(文楽三味線方)


竹本 大隅太夫(4代目)
タケモト オオスミダユウ


職業
義太夫節太夫(文楽)

本名
永田 安太郎

別名
前名=竹本 静太夫(初代)

生年月日
明治14年 10月27日

出生地
静岡県

経歴
20歳で鶴沢浅吉に入門。明治37年大阪に出て、3代目竹本大隅太夫に師事、静太夫を名乗る。昭和2年4代目大隅太夫を襲名。相三味線に初代鶴沢道八を迎え、晩年は文楽座の重鎮として活躍した。

没年月日
昭和27年 7月12日 (1952年)

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20世紀日本人名事典 「竹本大隅太夫」の解説

竹本 大隅太夫(4代目)
タケモト オオスミダユウ

明治〜昭和期の義太夫節太夫(文楽)



生年
明治14(1881)年10月27日

没年
昭和27(1952)年7月12日

出生地
静岡県

本名
永田 安太郎

別名
前名=竹本 静太夫(1代目)

経歴
20歳で鶴沢浅吉に入門。明治37年大阪に出て、3代目竹本大隅太夫に師事、静太夫を名のる。昭和2年4代目大隅太夫を襲名。相三味線に初代鶴沢道八を迎え、晩年は文楽座の重鎮として活躍した。


竹本 大隅太夫(5代目)
タケモト オオスミダユウ

大正・昭和期の義太夫節太夫(文楽)



生年
明治36(1903)年7月18日

没年
昭和55(1980)年2月11日

出生地
兵庫県神戸市

本名
高田 峰雄

別名
前名=竹本 隅若太夫,竹本 静太夫(2代目)

経歴
父・豊沢団治の手ほどきをうけたあと、昭和5年4代目竹本大隅太夫に入門、隅若太夫を名のる。25年2代目静太夫を経て、35年5代目大隅太夫を襲名。

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朝日日本歴史人物事典 「竹本大隅太夫」の解説

竹本大隅太夫(3代)

没年:大正2.7.31(1913)
生年:安政1(1854)
明治期の義太夫節の太夫。本名井上重吉。大坂の生まれ。18歳の明治4(1871)年,プロを志して5代目竹本春太夫に入門,竹本春子太夫となる。17年,博労町稲荷北門に開場中の彦六座で3代目を襲名,同時に文楽座から2代目豊沢団平を迎えて相三味線とし,厳しい修業を重ねた。20年,「三拾三所花野山」の「沢市内の段」(通称「壺坂」)で大当たりをとったのち,文楽座の2代目竹本越路太夫(のちの摂津大掾)と人気を二分した。23年彦六座3代目紋下(技芸の統率者)に就任する。芸一筋のひたむきな生活を送った割には報われず,台湾巡業中に病没した。十八番の「壺坂」ほかがレコードに残っている。<参考文献>「名家真相録」(『演芸画報』1909年9月号)

(倉田喜弘)

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百科事典マイペディア 「竹本大隅太夫」の意味・わかりやすい解説

竹本大隅太夫【たけもとおおすみだゆう】

義太夫節演奏家の芸名。5世まである。初世〔1797-1864〕は竹本播磨大掾の門弟。大和初瀬の出身。10年以上江戸で修業,1860年大坂へ帰る。3世〔1854-1913〕は本名井上重吉。大坂の鍛冶屋の子。稽古熱心で竹本摂津大掾とともに明治期の名人といわれた。台湾で病死。
→関連項目豊沢団平

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「竹本大隅太夫」の意味・わかりやすい解説

竹本大隅太夫(3世)
たけもとおおすみだゆう[さんせい]

[生]安政1(1854)
[没]1913
義太夫節の太夫。本名井上重吉。鍛冶屋の息子で,10歳から稽古を始め,明治5 (1872) 年春太夫門下となり春子太夫を名のり,1884年3世大隅太夫を襲名。堀江座,近松座の櫓下 (やぐらした。総座頭のこと) 。豊沢団平から受けた激しい稽古には数多くの逸話があり,その結果悪声ながら巧みな音遣いで写実的な表現に卓越,よく情を語り出し,近世名人の1人といわれる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹本大隅太夫」の解説

竹本大隅太夫(3代) たけもと-おおすみだゆう

1854-1913 明治-大正時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
安政元年生まれ。義太夫節。5代竹本春太夫の門弟で,初名は春子太夫。明治17年3代を襲名し,2代豊沢団平を相三味線として彦六座に出演。19年「壺坂霊験記」初演で大当たりをとるなど,竹本摂津大掾(せっつのだいじょう)とともに明治義太夫界の双璧(そうへき)といわれた。大正2年7月31日死去。60歳。大坂出身。本名は井上重吉。

竹本大隅太夫(初代) たけもと-おおすみだゆう

1797-1864 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
寛政9年生まれ。義太夫節。竹本播磨大掾(はりまのだいじょう)の門弟で,初名は百合太夫。三根太夫をへて天保(てんぽう)9年大隅太夫と改名。江戸で修業し大坂で活躍した。元治(げんじ)元年11月13日死去。68歳。大和(奈良県)出身。通称は尾張屋新兵衛。

竹本大隅太夫(4代) たけもと-おおすみだゆう

1881-1952 明治-昭和時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
明治14年10月27日生まれ。3代鶴沢清六の甥(おい)。義太夫節。3代の門人で,初名は静太夫。昭和2年4代を襲名,豪快な語りで時代物を得意とした。昭和27年7月12日死去。70歳。本名は永田安太郎。

竹本大隅太夫(5代) たけもと-おおすみだゆう

1903-1980 大正-昭和時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
明治36年7月18日生まれ。義太夫節。4代の門人。初名は隅若太夫。2代静太夫をへて,昭和35年5代を襲名した。昭和55年2月11日死去。76歳。兵庫県出身。本名は高田峰雄。

竹本大隅太夫(2代) たけもと-おおすみだゆう

?-? 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
義太夫節。初代の門弟で,伊達太夫をへて慶応元年(1865)大坂で2代を襲名。このころ江戸でも初代の門弟大和太夫(三隅太夫)が2代を襲名したので,ふたりの大隅太夫ができた。

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367日誕生日大事典 「竹本大隅太夫」の解説

竹本 大隅太夫(4代目) (たけもと おおすみだゆう)

生年月日:1882年10月27日
明治時代-昭和時代の浄瑠璃太夫
1952年没

竹本 大隅太夫(5代目) (たけもと おおすみだゆう)

生年月日:1903年7月18日
大正時代;昭和時代の浄瑠璃太夫
1980年没

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世界大百科事典(旧版)内の竹本大隅太夫の言及

【浄瑠璃素人講釈】より

…政界の黒幕と目された杉山茂丸は義太夫節を熱愛した。竹本摂津大掾,3世竹本大隅太夫,絃阿弥から聞いた話をもとに,義太夫芸の伝承,とくに〈風(ふう)〉の追求を通じ,古典芸術としての地位を確立せしめようとした。全部で84段の浄瑠璃ごとに,風にふれつつ,逸話や実際の語り方を述べるうちに,義太夫の芸の本質を明らかにした。…

※「竹本大隅太夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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