竹本越路大夫(読み)タケモト コシジダユウ

20世紀日本人名事典 「竹本越路大夫」の解説

竹本 越路大夫(4代目)
タケモト コシジダユウ

昭和期の義太夫節太夫(文楽) 文楽協会技芸員代表。



生年
大正2(1913)年1月4日

没年
平成14(2002)年6月24日

出生地
大阪府大阪市

本名
小出 清

別名
前名=豊竹 小松太夫,豊竹 つばめ太夫(3代目)

主な受賞名〔年〕
芸術祭賞奨励賞〔昭和29年〕,芸術選奨文部大臣賞〔昭和45年〕「ひらがな盛衰記」,紫綬褒章〔昭和49年〕,大阪芸術賞〔昭和54年〕,芸能功労者表彰〔昭和58年〕,勲四等旭日小綬章〔昭和59年〕,京都府文化賞(特別功労賞)〔昭和59年〕,NHK放送文化賞(第38回)〔昭和61年〕,松尾芸能賞(伝統芸能特別賞 第10回)〔平成1年〕,国立劇場文楽賞(特別賞 第9回)〔平成1年〕,文化功労者〔平成2年〕,京都市文化功労者〔平成2年〕,勲二等瑞宝章〔平成11年〕

経歴
大正13年11歳のとき2代目豊竹古靱太夫(山城少掾)に入門し、豊竹小松太夫を名乗る。5年まで行われた“大序制度”という厳しい修業を受けた最後の太夫で、芸風の異なる複数の先輩・師匠から技術を吸収。15年初舞台。新義座に出た後一時廃業するが、復座して昭和16年3代目豊竹つばめ太夫を襲名戦後は三和会に所属。41年4代目竹本越路大夫を襲名。深い情感と精神性を感じさせる語り口格調の高い芸風で一世を風靡した。平成元年「菅原伝授手習鑑・桜丸切腹の段」の公演を最後に引退。引退後は後進の指導に尽力した。昭和46年人間国宝、59年日本芸術院会員、平成2年文化功労者。得意芸に「野崎村」「長局」「酒屋」「河庄」「新口村」「鬼界ケ島」「封印切」「合邦」など。自伝に「四代竹本越路大夫」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹本越路大夫」の解説

竹本越路大夫(4代) たけもと-こしじだゆう

1913-2002 昭和時代浄瑠璃(じょうるり)太夫。
大正2年1月4日生まれ。義太夫節。2代豊竹古靱太夫(こうつぼだゆう)(のち豊竹山城少掾)に入門。大正15年初舞台。昭和16年3代豊竹つばめ太夫,41年4代竹本越路大夫を襲名。46年人間国宝,59年芸術院会員。平成2年文化功労者。平成14年6月24日死去。89歳。大阪出身。本名は小出清。初名は豊竹小松太夫。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「竹本越路大夫」の意味・わかりやすい解説

竹本越路大夫(4世)
たけもとこしじだゆう[よんせい]

[生]1913.1.4. 大阪
[没]2002.6.24. 京都
義太夫節の太夫。本名小出清。2世豊竹古靭太夫に入門。豊竹小松太夫,3世豊竹つばめ太夫を経て,1967年 4世を襲名。1971年重要無形文化財保持者(人間国宝),1984年日本芸術院会員となる。1989年引退。

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367日誕生日大事典 「竹本越路大夫」の解説

竹本 越路大夫(4代目) (たけもと こしじだゆう)

生年月日:1913年1月4日
昭和時代;平成時代の義太夫節太夫(文楽)
2002年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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