第4インターナショナル(読み)だいよんインターナショナル(その他表記)The Fourth International

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「第4インターナショナル」の意味・わかりやすい解説

第4インターナショナル
だいよんインターナショナル
The Fourth International

トロツキズムによる国際共産主義運動推進のためのインターナショナルコミンテルン (第3インターナショナル) に対抗するために,L.トロツキーが,アメリカ,イギリス,ドイツ,フランス,イタリアなどのトロツキストを結集して創立した。正式の成立は 1938年9月で,トロツキーの起草になる「過渡的綱領」 (『資本主義の死の苦闘と第4インターナショナルの任務』) を採択し,これに盛られた永久革命論を基本的な路線とした。しかし早くも 39年独ソ不可侵条約の締結を機に,ソ連の評価をめぐって対立起り,40年4月にはトロツキー,J.キャノンの多数派と,M.シャハトマンなどの少数派に分裂。さらに同年8月にはトロツキーが暗殺され,運動は衰退一途をたどった。第2次世界大戦後,第4インターナショナルの活動は少数のトロツキストによって継承され,48年第2回大会,51年第3回大会,以後第6回大会まで,世界大会が定期的に開かれ方針や決議などを出しているが,目立った活動はない。この間,53年には「加入戦術」をめぐるソ連圏の評価の食違いから,国際書記局 (パブロ派) と国際委員会 (キャノン派) への分裂が起り,さらに勢力減退をきたした。今日では,第4インターナショナルは,「新左翼」の一部に思想的影響をもつにすぎない。日本では,日本革命的共産主義者同盟・第4インターナショナル日本支部が 65年パリの本部から正式に承認されて成立した。中核派革マル派母体である日本革命的共産主義者同盟から 1959年に分派した革共同関西派を中心に結成されたグループで,成田空港反対闘争に積極的に参加した。しかし内部分裂を理由に,91年のインターナショナル大会で組織員の資格を剥奪された。

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