〈永久革命〉という言葉自体はマルクスの1850年3月の共産主義者同盟へのよびかけに由来するが,一般には1905-06年に定式化されたトロツキーの革命論を永久革命論または永続革命論という。英語ではpermanent revolution。彼によれば,後進国ロシアにおいては,都市ブルジョアジーの弱体と反動性のために,プロレタリアートが政権を掌握するのでなければ当面のブルジョア民主主義革命の課題すら達成することができず,しかもこの場合,革命は不可避的にブルジョア民主主義革命の枠を突破して社会主義革命へと進まざるをえない(いわゆる〈一段階革命論〉)という。しかも農民が人口の大多数を占めるロシアのような後進国では,プロレタリア革命の最終的成功は〈世界革命〉,具体的には西欧先進諸国での革命の成否にかかっているとみた。1925-26年のスターリンとの論争においてトロツキーの永久革命論は一国社会主義の主張によって批判された。なお,転義して,ナチス,毛沢東の〈永久革命〉論などともいう。
→トロツキズム
執筆者:田口 富久治
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…ロシア革命の指導者の一人トロツキーの思想とそれを実践する運動。思想的には,トロツキズムの柱は永久革命論とソ連国家論の二つからなる。永久革命論は,《総括と展望》(1906)や《永久革命論》(1930)において定式化されている。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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