写真家。東京生まれ。1963年(昭和38)、日本大学芸術学部写真学科在学中に広告制作会社ライトパブリシティに入社、広告写真を撮り始める。同年同大学を卒業し、写真雑誌『カメラ毎日』『アサヒカメラ』などにポートレート、ヌード作品を発表、新進写真家として注目される。1968年、フリーランスとなり、雑誌を中心に膨大な量の作品を発表して人気写真家となる。以後、日本の写真表現を旺盛(おうせい)な好奇心と着実な技術力でリードし、新たな問題意識あふれる写真を提示した。1974年5月から10月に『アサヒグラフ』誌に連載した「篠山紀信を本誌特派」シリーズをまとめた『晴れた日』(1975)では、歌手山口百恵(やまぐちももえ)(1959― )から政治家まで、日本全国で撮影された写真を、映像による百科事典のように1冊にまとめ、1970年代日本のリアルな現実をまるごととらえきるようなスケールの大きな視点を確立した。また、1975年刊行の『家』では北海道から沖縄まで日本全国の家のたたずまいを、大判カメラによる緻密(ちみつ)な映像で記録し、日本人にとっての、住むことの意味を問い直そうとした。このような日本、および日本人とは何かという大きな問いかけに、「あらゆるものを見尽くしたい」という、視覚的欲望のおもむくままに撮り続けることで回答をみいだそうとする意欲的な作品の系譜は、料理と食事をテーマにした『食』(1993)にまで及んでいる。
一方、篠山は1970年代から有名、無名の若い女性をモデルに、彼女たちのなにげないしぐさや表情を生き生きととらえたポートレート、ヌードのシリーズを発表し続けた。雑誌『GORO(ゴロー)』の巻頭グラビアページを飾ったこれらの写真は「激写」と名づけられて篠山の代名詞となるとともに、それまでの型にはまった女性写真をより身近なものにした。「激写」シリーズをまとめた『激写・135人の女ともだち』(1979)は読者の心をとらえてベストセラーになり、毎日芸術賞を受賞する。時代の潜在的欲望を、タレントやアイドル歌手のグラビア写真を中心として写真集に封じ込めたこれらの写真群は、それ以後も撮り続けられ、2000年(平成12)の『アイドル』に集大成されて、日本写真協会年度賞を受賞した。
つねに新たな領域に挑戦していた篠山は、1991年に、女優樋口可南子(かなこ)(1958― )をモデルに写真集『water fruit(ウォーターフルーツ)』を刊行した。同書は大きな話題となり、いわゆるヘアヌード・ブームの火付け役となる。だが、なんといっても篠山の底力を強く印象づけたのは、当時人気絶頂であった女優宮沢りえ(1973― )をモデルとしてアメリカで撮影した、『Santa Fe(サンタフェ)』(1991)であろう。この写真集は155万部を超えるという驚異的な大ベストセラーになり、社会現象として戦後史の1ページを飾るできごととなったのである。2020年(令和2)菊池寛(きくちかん)賞受賞。
[飯沢耕太郎]
『『晴れた日』(1975・平凡社)』▽『『激写・135人の女ともだち』(1979・小学館)』▽『『water fruit』『Santa Fe』(ともに1991・朝日出版社)』▽『『食』(1993・潮出版社)』▽『『写真は戦争だ!』(1998・河出書房新社)』▽『『アイドル』(2000・河出書房新社)』▽『篠山紀信・中平卓馬著『決闘写真論』(1977・朝日新聞社)』▽『加藤哲郎著『昭和の写真家』(1990・晶文社)』▽『大竹昭子著『眼の狩人――戦後写真家たちが描いた軌跡』(1994・新潮社)』▽『飯沢耕太郎著『写真集の愉しみ』(1998・朝日新聞社)』
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