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篠川御所 ささかわごしょ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

篠川御所
ささかわごしょ

足利満直の呼称。鎌倉公方足利満兼が応永6 (1399) 年弟の満直を陸奥国篠川に配置し,同国稲村においた弟満貞 (稲村御所) とともに奥羽地方統制の要とした。以後,満直は篠川御所と呼ばれた。

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百科事典マイペディアの解説

篠川御所【ささがわごしょ】

室町期,鎌倉府が奥羽両国を統治するために置いた政治機関,およびその当主足利満直(みつただ)をさす。1399年鎌倉公方足利満兼が弟の満貞と満直を陸奥国岩瀬郡稲村(いなむら)(現福島県須賀川市)と陸奥国安積(あさか)郡篠川(現福島県郡山市)にそれぞれ派遣し,両国支配の拠点としたことに始まる。

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世界大百科事典 第2版の解説

ささがわごしょ【篠川御所】

室町期の鎌倉府が奥羽両国を統治するため,陸奥国安積郡篠川(笹川,佐々河)に整備した足利一族の居館。1391年(元中8∥明徳2)暮れから両国併管を認可された鎌倉府では,99年(応永6)春,第3代関東公方足利満兼のとき,弟の足利満貞足利満直を岩瀬郡稲村と篠川に配置し,両国を掌握しようとした。これを稲村御所,篠川御所という。ただし〈御所〉と明記した史料は,《旅宿問答》《余目(あまるめ)氏記録》以後の戦国~近世期作成の記録類だけである。

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世界大百科事典内の篠川御所の言及

【稲村御所】より

…1399年(応永6)足利満貞が陸奥国岩瀬郡稲村に下向し,ここを鎌倉府の奥羽支配の拠点としたことによる。同時に足利満直(みつただ)が同国安積郡篠川(ささがわ)に派遣されて篠川御所と呼ばれた。稲村御所と篠川御所との間には支配命令関係や職務権限の相違などはみられず,両御所ともに知行安堵,充行(あておこない),軍勢催促,軍忠感状などの文書を発給しており,相互に協力しながら奥羽支配を展開しようとしたとみられる。…

【陸奥国】より

…それは14世紀末にはみられるが,1404年(応永11)の福島県中通りの伊東一族を中心とした国人20名からなる仙道一揆(せんどういつき),10年の岩城,岩崎,楢葉,標葉(しめは),行方(なめかた)の海道5郡の国人10氏による五郡一揆などが代表的なものである。鎌倉公方足利満兼は1399年弟の満直(篠川御所(ささがわごしよ)),満貞(稲村御所)を陸奥に派遣するが,彼らはこうした国人一揆に支えられて,かろうじて南奥の一角に根拠をもつことができたにすぎない。鎌倉府滅亡の永享の乱(1438)にあたっては,稲村御所満貞は鎌倉に上って鎌倉公方足利持氏とともに自殺し,篠川御所満直は幕府と直結して,持氏にとってかわろうとする野心をみせるが,成功するはずもなく,1440年(永享12)の結城合戦の中で殺されてしまう。…

※「篠川御所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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