米山梅吉(読み)ヨネヤマ ウメキチ

20世紀日本人名事典 「米山梅吉」の解説

米山 梅吉
ヨネヤマ ウメキチ

明治〜昭和期の実業家 三井信託社長。



生年
慶応4年2月4日(1868年)

没年
昭和21(1946)年4月28日

出生地
東京

旧姓(旧名)
和田

学歴〔年〕
ウエスレヤン大学(米国)卒

経歴
沼津中を中退後、東京英和学校、福音会英和学校に学び、明治20年渡米、28年帰国。日本鉄道を経て、30年三井銀行入社、31年池田成彬らと渡米、英米の銀行で事務を見習い32年帰国。大津、横浜、大阪各支店長などを歴任、42年株式会社改組後常務。大正9年三井合名参与。13年三井信託を設立、社長、14年信託協会会長。昭和7年三井合名理事、9年三井信託会長、三井報恩会理事長。11年いずれも辞任、青山学院緑岡小校長。著書に「提督波理」「飛脚だより」「銀行行余録」、歌集「八十七日」「東また東」「四十雀」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「米山梅吉」の意味・わかりやすい解説

米山梅吉
よねやまうめきち
(1868―1955)

実業家、三井信託の初代社長。高取(たかとり)藩士三男に生まれ、1887年(明治20)10月米山藤三郎の養子となる。沼津中学校や東京英和学校に学んだのち、87年末に渡米。オハイオ州ウェスレアン大学などにおいて政治学や文学を学び、95年帰国、日本鉄道会社に入社したが、97年三井銀行に転じ、1909年(明治42)には常務取締役に就任した。早くより信託業務の重要性を認識し、三井以外の諸財閥に働きかけ、出資を求めて、24年(大正13)三井信託を創立し初代社長になる。三井合名理事や三井報恩会理事長をも務めた。またロータリー運動を日本へ導入して、東京ロータリー・クラブをつくり会長に就任した。

[杉山和雄]

『青山学院初等部編『米山梅吉選集』全二巻(1960・実業之日本社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「米山梅吉」の解説

米山梅吉 よねやま-うめきち

1868-1946 明治-昭和時代前期の銀行家
慶応4年2月4日生まれ。三井銀行にはいり,明治42年常務。大正13年三井信託を創立し初代社長となる。のち三井合名理事,三井報恩会理事長。またロータリークラブを日本に導入,私費で現在の青山学院初等部を設立。貴族院議員。昭和21年4月28日死去。79歳。江戸出身。アメリカのウェスレアン大卒。旧姓は和田。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「米山梅吉」の解説

米山 梅吉 (よねやま うめきち)

生年月日:1868年2月4日
明治時代-昭和時代の銀行家。三井信託社長
1946年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android