粟石峠(読み)あわいしとうげ

日本歴史地名大系 「粟石峠」の解説

粟石峠
あわいしとうげ

[現在地名]庄原市峰田町

三上みかみみね村と甲奴こうぬ稲草いなくさ(現総領町)の境、粟石山にある出雲路の峠で、標高は四〇〇メートル。近世には宿場として峰村に赤川あかがわ町、稲草村下市しもいちが栄え、この間は約一里。稲草側には東西に二路があり、分岐点に塞神を祀る。西路は急坂森藤もりとう谷沿いの東路には近道があり、道わきの大岩は追剥の隠れ場所といわれ、隠れ岩の名がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「粟石峠」の意味・わかりやすい解説

粟石峠
あわいしとうげ

広島県北東部、庄原(しょうばら)市の南部、粟石山にある峠。標高約400メートル。古来瀬戸内と山陰出雲(いずも)を結ぶ街道にあたり、出雲へはさらに中国脊梁(せきりょう)山地王貫峠(おうぬきだわ)を越えて向かった。江戸時代には阿井(あい)郷にちなんで阿井越(ごえ)と称した。峠下には赤川下市の宿場があった。冬季かなりの積雪があり、1メートルを超えることも多い。今日ではこの峠道よりも渓谷沿いのルートが本道となっている。

[北川建次]

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