細田民樹(読み)ホソダ タミキ

20世紀日本人名事典 「細田民樹」の解説

細田 民樹
ホソダ タミキ

大正・昭和期の小説家



生年
明治25(1892)年1月27日

没年
昭和47(1972)年10月5日

出生地
東京

学歴〔年〕
早稲田大学英文科〔大正4年〕卒

経歴
早くから「文章世界」などに詩文を投稿する。卒業後徴兵で広島騎兵第五連隊に入営し、3年間をすごす。除隊後作家活動に入り、大正13年「或兵卒記録」を刊行プロレタリア文学に属し「悩める破婚者」「赤い曙」「黒の死刑女囚」「真理の春」「生活線ABC」などを次々と刊行。戦後も「広島悲歌」などを刊行した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「細田民樹」の意味・わかりやすい解説

細田民樹
ほそだたみき
(1892―1972)

小説家。東京に生まれる。早稲田(わせだ)大学英文科卒業。在学中に中編小説『泥焔(でいえん)』(1913)を発表、早稲田派新人と目された。早大卒業後、三か年の軍隊生活を送り、この体験がのちに『初年兵江木の死』(1920)、『或(ある)兵卒の記録』(1920)などの軍隊批判を主題とする小説を生んだ。作風は初期の自然主義から人道主義、社会主義へと移り、プロレタリア文学に身を投じてから、良心的なサラリーマンの成長と資本家たちの策謀を多様にとらえた長編小説『真理の春』(1930~31)を描き、代表作となった。

[大塚 博]

『『日本プロレタリア文学集2 初期プロレタリア文学集2』(1985・新日本出版社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「細田民樹」の意味・わかりやすい解説

細田民樹
ほそだたみき

[生]1892.1.27. 東京
[没]1972.10.5. 東京
小説家。 1915年早稲田大学英文科卒業。在学中に『泥焔』 (1913) が相馬御風激賞を受け,広津和郎,谷崎精二に続く早稲田派の新人と目された。自己の体験に基づく軍隊批判の創作集『或兵卒の記録』 (24) で注目を浴び,近代資本主義構造を写した『真理の春』 (30~31,未完) で決定的評価を受けた。ほかに『ビショップの輪』 (55) など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「細田民樹」の解説

細田民樹 ほそだ-たみき

1892-1972 大正-昭和時代の小説家。
明治25年1月27日生まれ。大正13年に兵役体験にもとづく軍隊批判小説「或(ある)兵卒の記録」で反響をよんだ。プロレタリア文学の道をあゆみ,昭和期には「黒の死刑女囚」や,連載途中で執筆禁止となった未完の長編「真理の春」を発表した。昭和47年10月5日死去。80歳。東京出身。早大卒。

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367日誕生日大事典 「細田民樹」の解説

細田 民樹 (ほそだ たみき)

生年月日:1892年1月27日
大正時代;昭和時代の小説家
1972年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の細田民樹の言及

【プロレタリア文学】より

…これに対して青野らの《文芸戦線》を中心とする労農芸術家連盟(略称,労芸。文戦派)はしだいに色あせて見えるようになり,やがては実力派だった平林たい子,黒島伝治,細田民樹(1892‐1972)らが脱退し,その多くはナップに参加した。なお,明治・大正以来の文壇作家で大正末年から社会主義運動ないしプロレタリア文学運動に参加した作家として,藤森成吉,江口渙(きよし)(1887‐1975),江馬修(ながし)(1889‐1975),宮本百合子,細田民樹,細田源吉(1891‐1974)らがおり,彼らも結局はすべてナップに参加した。…

※「細田民樹」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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