デジタル大辞泉
「相馬御風」の意味・読み・例文・類語
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そうま‐ぎょふう【相馬御風】
詩人、歌人、評論家。本名昌治。
新潟県出身。早稲田大学卒。「早稲田
文学」の編集に
従事。
自然主義文学運動に評論家として加わり、口語自由詩運動に活躍。のち、
文壇を離れ、良寛の研究者として知られる。著に「御風詩集」「
黎明期の文学」「大愚良寛」など。明治一六~昭和二五年(
一八八三━一九五〇)
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相馬御風
そうまぎょふう
[生]1883.7.10. 糸魚川
[没]1950.5.7. 糸魚川
詩人,評論家。本名,昌治。 1906年早稲田大学英文科卒業とともに『早稲田文学』の編集に参加,『自然主義論に因みて』 (1907,のち『没我と全我』と改題) ,『文芸上主客両体の融合』 (07) などの論文で自然主義評論家として登場した。かたわら,三木露風,野口雨情,人見東明らと早稲田詩社を興し,詩『痩犬』 (08) ,『御風詩集』 (08) で注目され,口語自由詩運動に一石を投じた。 11年早稲田大学講師に就任,『黎明期の文学』 (12) ,『自我生活と文学』 (14) などで「極端に主観生活を追究する」ことを主張したが,反自然主義の志向を語る『還元録』 (16) 発表後は職を辞して帰郷,『大愚良寛』 (18) など宗教的色彩の濃い作風に移っていった。
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相馬御風
そうまぎょふう
(1883―1950)
評論家、詩人、歌人。本名昌治(まさじ)。新潟県糸魚川(いといがわ)の生まれ。早稲田(わせだ)大学英文科卒業後、島村抱月のもとで『早稲田文学』の編集に参加、『黎明(れいめい)期の文学』(1912)、『生の要求と文学』(1913)などにまとめられる個性的な自然主義評論を執筆。また、口語自由詩運動の一環として早稲田詩社を結成、自らも詩作して『御風詩集』(1908)などを残した。早大校歌を作詞。思想的屈折を経て、『還元録』(1916)を文壇への決別の辞として郷里に退隠、その後は随筆家として活動、『大愚良寛(たいぐりょうかん)』(1918)などを著した。糸魚川市に相馬御風資料室がある。
[田沢基久]
『『相馬御風著作集』八巻・別巻二(1981・名著刊行会)』
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相馬御風 そうま-ぎょふう
1883-1950 明治-昭和時代の詩人,文芸評論家。
明治16年7月10日生まれ。「早稲田文学」の編集にたずさわり自然主義評論を執筆。また三木露風らと口語自由詩運動を推進。大正5年郷里の新潟県にかえり良寛の研究にうちこむ。早大校歌「都の西北」の作詞者。昭和25年5月8日死去。66歳。早大卒。本名は昌治(まさはる)。著作に「御風詩集」「黎明(れいめい)期の文学」「大愚良寛」。
【格言など】今さらに賜(た)びし広野ぞうらまるる夢みだれては若き花守(「睡蓮」)
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世界大百科事典(旧版)内の相馬御風の言及
【糸魚川[市]】より
…明星山,黒姫山などの豊かな石灰岩層に恵まれてセメント産業,窯業が盛んであり,また昭和初めから姫川の電源開発が進んだため,繊維,電気機器産業も進出した。良寛研究で知られる相馬御風の住家,土蔵2棟は県文化史跡指定相馬御風記念館として保存されている。山寺に伝わる延年形式の民俗芸能〈おててこ舞〉は国の無形民俗文化財。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」