結城親光(読み)ゆうき ちかみつ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「結城親光」の解説

結城親光 ゆうき-ちかみつ

?-1336 鎌倉-南北朝時代の武将
結城宗広(むねひろ)の次男。結城親朝(ちかとも)の弟。元弘(げんこう)の乱でははじめ鎌倉幕府にしたがう。正慶(しょうきょう)2=元弘3年後醍醐(ごだいご)天皇の命をうけて父とともに討幕方に転じ,六波羅攻めにくわわる。天皇に重用され,楠木正成(くすのき-まさしげ)らとともに「三木一草」と称された。足利尊氏が京都を占拠した際いつわって降伏したが,建武(けんむ)3年1月11日大友貞載(さだのり)にうたがわれ斬り死にした。通称は九郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「結城親光」の意味・わかりやすい解説

結城親光
ゆうきちかみつ

[生]?
[没]延元1=建武3(1336).1.11.
南北朝時代初期の武将。宗広の次男。元弘の乱に際し,足利尊氏の指揮下に属し,鎌倉から攻め上り,やがて六波羅攻めに参戦した。建武政権下では後醍醐天皇の信頼を得,楠木,名和千種 (ちぐさ) 氏とともに三木一草 (さんぼくいっそう) と呼ばれ,権勢を謳歌した。建武政府にそむいた尊氏が京都を占拠すると,偽って足利軍にくだり,大友貞載 (さだとし) 軍と戦って切り死にした。

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世界大百科事典(旧版)内の結城親光の言及

【三木一草】より

…後醍醐天皇の建武政権で重用されはぶりのよかった4人の総称。楠木正成名和長年,結城親光,千種(ちぐさ)忠顕のこと。楠木・結城は姓に,名和は伯耆守で官名に〈キ〉がつき,それに千種の〈クサ〉をとって〈三木一草〉としゃれていったもの。…

※「結城親光」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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