町飛脚(読み)まちびきゃく

精選版 日本国語大辞典 「町飛脚」の意味・読み・例文・類語

まち‐びきゃく【町飛脚】

〘名〙 江戸時代民間営業の飛脚。元和元年(一六一五大坂城定番の諸士が家来を飛脚として江戸に家信を通じ、毎月三度江戸・大坂間を往復したところからこれを三度飛脚といった。大坂商人のうちにこれにならう者があり、寛文三年(一六六三)江戸・大坂・京都の三都の商人が、幕府公許の下に三都往復の飛脚業を開始したのがはじまりで、当時は東海道往復に六日を要したところから「定六」ともいった。その後、金銀逓送をする金飛脚・米価通信の米飛脚などもおこって、幕府公用や諸大名の通信にも関与するなど隆昌をみた。町小使
俳諧・柿表紙(1702)上「町飛脚たつけふ切の日数哉〈許六〉」

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デジタル大辞泉 「町飛脚」の意味・読み・例文・類語

まち‐びきゃく【町飛脚】

江戸時代、民間経営の飛脚。幕府の許可を受けて寛文3年(1663)に開業。主に江戸・大坂・京都を中心全国に普及した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「町飛脚」の意味・わかりやすい解説

町飛脚
まちびきゃく

江戸時代の飛脚の一つ。幕府公用の継飛脚,諸大名の大名飛脚と並んで,江戸,大坂,京都の3都を中心に民間で行われた飛脚。元和年間 (1615~24) に大坂の商人が始めたというが,幕府が公認したのは寛文3 (63) 年。中期以降,公営の飛脚の削減,不振にかわって主要な逓送機関となり,地方大都市へも飛脚網が拡大されていった。機能的にも分化し金銀輸送中心の金飛脚 (かねびきゃく) ,書状逓送中心の毎月2の日に出る三度飛脚などがあった。明治4 (1871) 年郵便制度の成立により廃止

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「町飛脚」の解説

町飛脚
まちひきゃく

近世,書状や荷物を運送する民間の飛脚業。はじめは不定期だったが,需要増により定期的な営業となり,専業の商売として発展した。三度飛脚のように幕府役人の書状・小荷物の配送にもあたったり,藩の公用書状逓送を引きうけるものもあった。大坂の三度飛脚,江戸の定飛脚,京都の順番飛脚が代表的な町飛脚だが,商品経済の発達により各地を結ぶ通信・運送需要が増加したため,各地にうまれた。扱う物により,金銭を扱う金飛脚,商品の縮緬を扱う縮緬飛脚,米価情報を提供する米飛脚なども出現した。江戸内を対象として風鈴を下げて書状配送を行う「チリンチリンの町飛脚」とよばれた江戸町飛脚(便屋(たよりや))もあった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「町飛脚」の解説

町飛脚
まちびきゃく

江戸時代の民間経営の飛脚
1663年,江戸・大坂・京都の三都商人が三都間を往復する飛脚業を始め,書状・金銭などを運んだ。東海道往復に6日を要したので「定六 (じようろく) 」,また毎月2の日に3回大坂を発したので「三度屋(三度飛脚)」とも呼ばれた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「町飛脚」の意味・わかりやすい解説

町飛脚
まちびきゃく

飛脚

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世界大百科事典(旧版)内の町飛脚の言及

【飛脚】より

…馬方のついた幾匹かの馬に1人の宰領がいて指図している。都市内では町飛脚があり通信に当たったが,花柳界の仕事にも多く利用された。この町飛脚は明治期には車夫に転向したが,その姿は新聞売りに残った。…

【郵便】より

…江戸時代になると,幕府の手で全国的な規模でこれらの交通,通信網が整備された。諸国の大名が江戸と領地間に飛脚便を開設する事例もあり,私用のための町飛脚も発達してきた。町飛脚は幕府から定飛脚の免許を受け,東海道を6日かかって運行したことから定六(じようろく)と呼ばれ,毎月3度往復したことから三度飛脚とも呼ばれた。…

※「町飛脚」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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