朝廷用の錦・綾・紬・羅など高級絹織物の織成・染色をつかさどる大蔵省管轄の令制官司。養老令の職員は,正(かみ)・佑(じよう)・令史(さかん)各1人,挑文師(あやのし)(才伎長上)4人,挑文生(あやのしよう)8人,使部6人,直丁1人で,染戸(品部)が付属する。挑文生は挑文師より教習を受ける生ではなく番上官の技術者。大宝令では挑文4人のみで,挑文師・挑文生は711年(和銅4)錦綾の織成教習に挑文師が諸国に派遣された前後に設けられた可能性もある。大宝令の別記では,品部は錦綾織110戸,呉服部(くれはとり)7戸(小綾を織る),河内国広絹織人等350戸,緋染70戸,藍染33戸の計570戸で,若干の織手が上番(出勤)する以外は在国のまま染織に従事した。養老令の染戸はこれらの一部の称であろう。811年(弘仁2)停止の摂津国の揩戸(すりべ)は藍染の染戸であろう。品部はしだいに停廃され,《延喜式》では挑文師2人と,織手・共造(空引(そらひき)工)・機工(空引機の製作技術者)計35人と薄(うすもの)機織手5人,絡糸女(いとくりこ)3人の定額作手と,内蔵寮派遣の臨時所の錦織織手28人が直営工房で作業する形態に変わり,品部は全廃されている。一方諸国から調として錦以外の高級絹織物が貢進されることになっており,織部司の用務は縮減されている。錦綾等は大蔵省・内蔵寮等に送られ供御料・賜物・服飾品材料とされた。所在地は平安京では宮外の東大宮大路の東,土御門大路の北の地(現在の西陣近辺)であり,ほかに織手の住する町があった。
執筆者:石上 英一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
令(りょう)制で大蔵省の被管となっている、広く紡織と染色のことをつかさどる役所。錦(にしき)、綾(あや)、紬(つむぎ)、羅(ら)などを織り、また諸色の糸を染める。職員に正(かみ)・佑(すけ)・令史(さかん)各1人、挑文師(あやとりし)4人、挑文生(あやとりしょう)8人ほかがいる。大宝(たいほう)令では「挑文」4人。新しい織布技術の導入・開発に伴って、711年(和銅4)挑文師を各地に派遣し、技術指導を行っている。『令集解(りょうのしゅうげ)』職員(しきいん)令の古記所引別記は、錦綾織戸、呉服部戸、緋染(ひぞめ)戸、藍染(あいぞめ)戸などの所属品部(しなべ)をあげている。
[武田佐知子]
…その源流は中国,朝鮮半島から渡来した技術者集団であり,律令期以前には錦部(にしごり),漢織(あやはとり),呉織(くれはとり)などとよばれた。大宝令制によると,宮廷需要をまかなうために大蔵省所管の織部司(おりべのつかさ)に技術官人として挑文(あやとり)(養老令制では挑文師(あやのし),挑文生(あやのしよう))が置かれ,配下の品部(しなべ)である染戸(そめへ)570戸のうちに錦綾織,呉服部(くれはとり),川(河)内国広絹織人が掌握されていた。これらの織手は主として畿内に居住し,技術の世襲を義務づけられ,3~7戸で1台の織機を使用して,1人年額1~2疋の製品を貢納する代償に,雑徭(ぞうよう)もしくは調と雑徭を免除される規定であった。…
…農業主体の民衆の暮しの中では,機織は農閑期の,また女子の仕事とならざるをえなかったのである。こうした民衆による織物生産の一方,天皇をはじめとする皇族や貴族の料や,神仏に奉献しあるいは群臣へ賜与される錦や綾,羅のごとき高級織物の生産は,主として大蔵省に所属する織部司(おりべのつかさ)のもとでなされた。織部司には行政官のほかに挑文師(あやのし),挑文生(あやのしよう)と呼ばれた技術者も含まれ,工房も付属していた。…
…しかしいずれにしても,染加工の方法として摺りがあったことは認められよう。 律令制下の染色は大蔵省の下にある織部司(おりべのつかさ)や宮内省に直属する内染司(うちのそめもののつかさ)の指揮,統制のもとに行われてきた。当時織部司の管轄にあった染色工人は緋染70戸,藍染33戸その内訳は大和国に29戸,近江国に4戸であった。…
※「織部司」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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