日本歴史地名大系 「美和村」の解説 美和村みわむら 茨城県:那珂郡美和村面積:七九・八七平方キロ那珂郡の最西北部に位置し、東は山方(やまがた)町、南は大宮(おおみや)町と緒川(おがわ)村、西から北にかけては栃木県那須郡と久慈郡大子(だいご)町に接する。北部に尺丈(しやくじよう)山(五一一・五メートル)、西北に鷲子(とりのこ)山を仰ぎ、四方を八溝(やみぞ)山地と鷲子山地に囲まれた丘陵地帯の農山村。鷲子山を源とする緒川が西から東南に貫流する。美和村を流れるすべての小川は緒川の支流で丘陵地に谷を刻む。緒川の流域は耕地として利用される。国道二九三号は緒川村から当村南部に入って西北へ進み、那須郡馬頭(ばとう)町へ向かう。 美和村みわむら 鳥取県:鳥取市旧邑美郡地区美和村[現在地名]鳥取市美和古郡家(ここおげ)村の西に位置する。「和名抄」記載の邑美郡美和郷の遺称地とされる。「蔭涼軒日録」長禄四年(一四六〇)閏九月九日条に因幡国「味和郷半分之事」とみえ、但馬国の円通(えんつう)寺(現兵庫県竹野町)内聚慶軒領であったが、守護山名七郎(豊氏)により押領されていた。寛正二年(一四六一)六月、さらに一〇月になっても豊氏は幕府からの還付命令の実行を渋っている(同書同年六月八日条など)。三和・三輪とも記され、元禄一四年(一七〇一)の変地其外相改目録(県立博物館蔵)によれば、元禄国絵図・元禄郷帳作成時に三輪から美和に改められた。藩政期の拝領高は一七〇石余、本免五ツ三分。安政五年(一八五八)の生高二〇四石余、物成九九石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by