修験道の一派。山形県の羽黒山を本山とする。崇峻天皇の子の蜂子(はちす)皇子を開祖と称し,苦行性と古態を残すことで知られる。平安末期から組織化が進み,最も栄えた鎌倉時代には七寺七院住坊四千と号し,守護・地頭不入の権を誇った。戦国時代に衰微したが,江戸時代には輪王寺宮を管領と仰ぎ,社領1500石余,山上に32坊と108の堂舎,麓の手向(とうげ)には修験360坊が軒を並べ,関東,東北,甲信越の各地に約5000の配下修験,神職,巫女が居住した。羽黒山在住の修験者はこれら在地修験者の協力を得て各地に講を結び,守札を配付するとともに出羽三山参詣の道者を泊め,かつ先達をした。明治初年の神仏分離によって三山は出羽三山神社となり,別当以下の衆徒は神職に転じ,わずかに残った僧と修験者は,第2次大戦後,荒沢(こうたく)寺を中心に羽黒山修験本宗を再興した。
→出羽神社
執筆者:戸川 安章
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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