フランスの作家モーパッサンの中編小説。1880年刊の『メダンの夕べ』の一編として発表。メダンとはゾラが住んでいたパリ近郊の地名で、ゾラと5人の若い作家が、プロイセン・フランス戦争をモチーフにした作品を一つずつ持ち寄って成った中短編集。当時は自然主義文学の宣言的役割を果たしたが、いまではモーパッサンの作品だけが読まれる。プロイセン軍に占領されたルーアンの町から逃げ出す乗合馬車に貴族、企業家、小売商人、尼僧、共和主義者、そして肉づきのよさから「脂肪の塊」とあだ名される娼婦(しょうふ)が乗り合わせるが、プロイセン士官に足止めを食う。困った一行は、娼婦にことば巧みに犠牲の精神を説いて敵士官に身を売らせて出発の許しを得るが、目的を達するとたちまち娼婦に冷淡になり罵倒(ばとう)を浴びせる。人間社会の卑劣、偽善を痛烈に暴いたもので、フロベールはこの作品を「傑作」と絶賛し、モーパッサンの出世作となった。
[宮原 信]
『新庄嘉章訳『脂肪の塊・テリエ館』(講談社文庫)』
…フォードとしても《三悪人》(1926)以来13年ぶりの西部劇である。A.ヘイコックスの短編小説《ローズバーグ行きの駅馬車》(1937)を原作に,またその小説が下敷きにしていると思われるモーパッサンの《脂肪の塊》も加味して,ダドリー・ニコルズが脚本を書いた。1台の駅馬車に乗り合わせた9人の男女のキャラクターを鮮やかに浮彫にしつつ,蜂起したアパッチ族が待つ土地を通り抜けていく開拓時代の危険な旅を,あるときは伝説を見はるかすように,またあるときは強烈な臨場感をもって描いた。…
※「脂肪の塊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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