最新 心理学事典 「臨床心理学研究法」の解説
りんしょうしんりがくけんきゅうほう
臨床心理学研究法
research methods in clinical psychology
【エビデンスベイスド・アプローチevidence-based approach】 エビデンスベイスド・アプローチは,実証的なデータ(エビデンス)に基づいた臨床実践である。これは,実践と研究を不可分のものと考え,双方において実証的なデータを重視する姿勢を指す。よって,効果研究のみでなく,クライエントの変化を客観的に評価しながら介入を行なったり,幅広い研究成果を参照しながら新しい方法を工夫することも含む。
科学者-実践者モデルscientist-practitioner modelは,1949年にコロラド州ボルダーで行なわれた臨床心理学の大学院教育に関する会議で示された。このモデルは専門家が科学的な研究と臨床実践を両立させること,さらにその両者を統合することを重視する。このモデルは半世紀以上にわたって,アメリカの多くの大学院の教育プログラムで目標として掲げられている。しかし,現状では理念にとどまっているという批判もある。効果研究に積極的にかかわること,信頼性・妥当性が示されたアセスメントを用いること,などの形で具体化していくことが必要であろう。
エビデンスベイスド・アプローチが強調する「実証性」という概念の源流は,20世紀初頭にウィーンに集まった哲学者・科学者の集団(ウィーン学団)の提唱した論理実証主義logical positivismに求められることが多い。ウィーン学団の人びとは,形而上学を排除し経験によって検証可能な命題のみが考察に値すると考えた。つまり,経験的なデータの重視である。しかし,データが蓄積されると真実に至るという考え方には古くから批判がある。帰納推論を「精神のバケツ理論」と揶揄した哲学者ポパーPopper,K.はもちろん,論理実証主義者も帰納推論に好意的ではなかった。たとえば,ファイヤアーベントFyerabend,P.K.は,論理実証主義の先駆者とされる物理学者マッハMach,E.が,高度の一般性をもつ原理を見いだすことを重視していたことを指摘している。エビデンスベイスド・アプローチを,理論を重視しない立場と考えるのは正しくない。
20世紀を通じて科学的な観察も理論に影響されるという考え方が一般的になった。クーンKuhn,T.S.は特定の科学者集団に共有される認識の枠組みがあり(パラダイム),それが転換することで科学が発展すると考えた(科学革命)。また,ファイヤアーベントは,データも理論に染まったものであるがゆえに厳密な方法論を用いれば理論を検証したり反証したりできるという考えを否定し,科学の歴史は多様な理論のせめぎ合いであるという相対主義を示し,伝統的な文化や信仰など多様な考え方との対話が重要であるとした。これは後述する社会構成主義にも共通する思想である。
【効果研究】 臨床介入は個々のクライエントを対象に行なわれる。よって,一事例実験single-case designは実践と実験を結びつける役目をもつ。独立変数(介入)を系統的に操作して従属変数(症状)の変化を検討するという原理は,多数事例の実験と同じである。介入を行なわずに観察だけを行なうベースライン(A期間)に続いて介入を行ない(B期間),症状が変化するかどうかを見るABデザインが最も単純なものである。介入後に再び観察期間を設けるABAデザインもある。Bの期間に自然な変動とは考えられない(Aの期間には見られないような)症状の低下が見られたら,介入の効果である可能性が高い。
多数例を対象とした研究の代表は,ランダム化臨床試験randomized clinical trial(RCT)である。RCTでは,ある介入を行なう群と対照群とにランダムに対象者を割り付ける。介入法以外の条件は統制したうえで,介入群と対照群にランダムに対象者を割り付けることで,効果の違いは介入法によるという確信(内的妥当性)が高まる。メタ分析meta analysisとは,ある介入法に関する複数の効果研究について,介入を行なった群(介入群)と行なわない統制群との差異を集計する方法である。個々の研究について,両群の症状などの平均値の差異を標準化して効果サイズを算出し,複数の研究結果を集約するのである。
RCTでは,関心となる介入法の効果を明確化するために,それ以外の要因は統制する。しかし,現実の臨床実践は社会的文脈に埋め込まれている。一定の政策のもとで予算の配分を受け組織や社会の中で行なわれる。日本では,スクールカウンセラーの派遣事業が有名である。このような政策のレベルも含めたよりマクロな視点でのプログラム評価研究program evaluation researchも重要となる。この場合は,心理的な変化のみならず,経済的影響なども含めて検討される。プログラム評価研究では,かかわる主体が多くなるために統制が難しくなる。しかし,これは多くの専門家・非専門家の共同で援助が行なわれるという現実の反映である。たとえば,アメリカで行なわれた,小学生を対象とした情緒的問題に対する介入である集中的なメンタルヘルスプログラムintensive mental health program(IMHP)の評価では,子どもたちに適正な教育環境を提供するという法的な要請のためRCTは不可能であった。臨床心理学には,社会の現実という制約の中で効果を上げると同時に,社会に対する提言も積極的に行なうことが求められる。
【事例研究】 多数例を対象とした研究は,臨床心理学に多くの知見をもたらす。一方で,臨床心理学の対象はあくまで個々の事例であるため,事例研究と多数例の研究は車の両輪である。一事例実験が実験計画法の発想に基づいたものであるのに対して,社会構成主義の立場からはナラティブ・アプローチnarrative approachが登場した。ガーゲンGergen,K.J.によれば,社会構成主義social constructionismは,研究という活動も含めてあらゆる人間の活動が文化や価値観などに根ざしたものであると考える。研究の目的としては普遍性よりも実践性を重視する。たとえば,行動を変化させるには,因果関係を明確にするよりは,相互の対話の中から何が生まれるかを考える方が有益である。人びとの語り(ナラティブ)に内側から耳を傾けることで,対象者への温かいまなざしが生まれる。また,社会的な正義を実現するには,経済・政治など多様なシステムの相互作用の中で人をとらえることが重要である。研究に参加してくれる人びととの関係を重視しながら,その語りの中から意味を見いだそうとするのがナラティブ・アプローチである。ただし,ハイエクHayek,F.は,社会,文化,歴史といった「全体」は直接観察できるものではないため,あくまで理論的に構成された概念と考えるべきであり,それが観察可能な個人の行動の基盤にあると考えるのは逆転である,としている。社会や文化を重視することと,個人の独自性を重視することが一致するとは限らない点に注意が必要であろう。 →心理アセスメント
〔杉浦 義典〕
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