論理実証主義(読み)ロンリジッショウシュギ(その他表記)logical positivism

デジタル大辞泉 「論理実証主義」の意味・読み・例文・類語

ろんり‐じっしょうしゅぎ【論理実証主義】

ウィーン学団に始まった実証主義哲学。マッハの実証主義を受け継ぎ、前期ウィトゲンシュタインの決定的影響のもとに成立した。知識の基礎を経験に求め、形而上学を否定し、哲学の任務は科学において用いられる言語の論理的分析であるとした。→ウィーン学団

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精選版 日本国語大辞典 「論理実証主義」の意味・読み・例文・類語

ろんり‐じっしょうしゅぎ【論理実証主義】

  1. 〘 名詞 〙 シュリックを中心として一九二四年頃結成されたウィーン学団およびその同調者たちの哲学。実証主義と記号論理学とを結びつけ、哲学の仕事はもっぱら思考の明晰化ということにあり、特に科学の言語の論理的分析にあるとする立場。記号論理学の研究を発展させた。

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改訂新版 世界大百科事典 「論理実証主義」の意味・わかりやすい解説

論理実証主義 (ろんりじっしょうしゅぎ)
logical positivism

〈ウィーン学団Wiener Kreis〉およびその共鳴者の哲学に与えられた名称。

1895年ウィーン大学に〈帰納科学の哲学〉という講座が新設され,物理学者のマッハがその初代教授となり,その後この講座はボルツマンへと引き継がれていく。この講座を中心としてウィーン大学において,近代自然科学に接近した経験主義的な哲学傾向がしだいに醸成された。このような状況の中で,1922年シュリックがこの講座を引き継いだ。当時シュリックのもとに多くの若い哲学者,物理学者,数学者,社会科学者などが集まり,私的な会合が続けられていたが,28年,このメンバーが中心となって〈マッハ協会〉を設立し,ウィーン学団が結成され,その公的な哲学運動が始まる。このグループの哲学思想が論理実証主義である。その主要メンバーとしては,シュリックのほか,哲学者のクラフトV.Kraft,物理学者(後に哲学者)のカルナップ,フランクP.Frank,数学者のメンガーK.Menger,ゲーデル,社会科学者のノイラートなどがあげられる。これとほぼ時を同じくして,ベルリンライヘンバハを中心に〈経験哲学協会Die Gesellschaft für empirische Philosophie〉が設立され,これと協同して30年に機関誌《認識(エルケントニス)》を発刊し,この論理実証主義の思想は世界に広まっていくことになる。これに呼応して,コペンハーゲンヨルゲンセンJ.Jörgensen,シカゴのC.W.モリス,ワルシャワの論理学者たちがこの思想の共鳴者となる。この間,31年にこの運動全体に対してブルンベルクA.E.BlumbergとファイグルH.Feiglによって論理実証主義という名称が与えられた。しかし,当時はナチスの興隆期にあたり,多くのユダヤ人を抱えるこのウィーン学団は弾圧を受け,やがて活動不能となり,多くの学者は,アメリカ,イギリスに亡命し,この運動は発足以来約10年にして解体した。しかし,このため,論理実証主義の思想はこれらの国,とくにアメリカにおいて根を下ろし,その固有の思想と融合して新しい発展をとげ,いわゆる分析哲学として現代哲学の一つの大きな流れを形成することになるのである。

論理実証主義の思想はマッハの科学的世界観,とくに,その感覚主義的経験論とB.A.W.ラッセルとその弟子ウィトゲンシュタインの論理思想とによって強く影響されて起こった新しい科学哲学であると概括される。その思想内容の特質は以下の諸点に要約されよう。

(1)科学的世界把握 ウィーン学団の最初のテーゼは〈統一科学Einheitswissenschaft〉であった。すなわち,19世紀以降細分化の一途をたどってきた諸々の学問を統一し,その上に立って過去の多くの形而上学的世界観とは異なる〈科学的世界把握〉を行おうとするものである。そのために,諸学を共通に基礎づけるものとして個人の経験のみを認めるという徹底的経験論を目ざした。しかし,ここで,心理学をもその範囲に含めようとするとき,いわば〈内的世界〉と〈外的世界〉とを共通に基礎づけるものとして経験を取り扱わざるをえず,経験というもののもつ私的一面のゆえに,科学はかえって客観性を失わざるをえないという難問をかかえることになった。この難点を避けるため,たとえば,シュリックは経験の内容と構造を区別するというような試みを行ったが,必ずしも成功していない。この難問は〈内的経験の私秘性〉〈他我問題〉などとして現在にまで持ちこされている。

(2)現象論と物理主義 論理実証主義は初期,マッハとラッセルの強い影響の下に,現象主義の立場をとった。すなわち,認識の源泉としての直接所与は物ではなく,感覚,またはそれに類似のものであるとする立場である。この視点はカルナップの初期の著作《世界の論理的構成》などに明瞭に現れている。しかし,この立場に立つかぎり,科学的真理の根拠は究極において私的なものとなることを不満として,ノイラートは科学の命題を検証しうるものは〈報告命題〉であり,そしてそれは,感覚言語ではなく,物言語(たとえば,人名,物の名,場所,時刻などを含む)によって構成されるべきであるという主張を展開し,その後,論理実証主義者の見解は,概してこれに傾いた。この新しい立場は〈物理主義Physicalism〉と呼ばれる。

(3)論理主義 当時新しく構成された論理学,いわゆる記号論理学を重視し,みずからその発展に貢献した。さらに,ラッセル,ウィトゲンシュタインの影響の下に,〈論理的原子論logical atomism〉に近い立場をとり,現実の世界の構造が論理的であると考えた。しかし,やがて,数学の分野で広まった公理主義に接近し,数学のみならず,物理学をも含む広範な分野で公理主義的な規約主義へと移行した。

(4)言語分析と形而上学の否定 論理実証主義はその創設期に強い形而上学否定のプロパガンダをたずさえて登場した。しかし,その否定の理由は,それが誤っているからではなく,それが無意味な命題を述べているからであるとしたところに大きな特質がある。そして,この種の無意味な命題を排除するために,命題の有意味性に対する厳しい規準を立てた。それは,〈命題の意味とはその検証の方法である〉という種類のものであった。しかし,彼らは,この検証ということを経験による検証とみなしたため,形而上学の命題はもちろん,多くの哲学的命題や倫理学的命題などが無意味となり,哲学問題の多くは擬似問題として退けられることになった。しかし,この規準によるならば,その規準を述べる当の命題そのものが無意味となるというような撞着を含むことが問題となり,この規準は漸次緩められ,伝統的哲学問題の多くは真の哲学問題として復活することになる。しかし,これらの議論を通じて行われた言語分析の手法は哲学的議論の手法としては斬新なものを含み,同時期にイギリスにおいて行われていた日常言語による言語分析(日常言語学派)とともに,哲学的分析の有力・必須の方法として定着することになった。
科学哲学 →記号論理学 →分析哲学
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「論理実証主義」の意味・わかりやすい解説

論理実証主義
ろんりじっしょうしゅぎ
logical positivism 英語
positivisme logique フランス語
logischer Positivismus ドイツ語

ウィーン学団およびこれと近い関係にあったベルリン学派のライヘンバハ、イギリスのエイヤーらの思想をさすことば。ウィーン学団が解散し、またウィットゲンシュタインが人工言語よりも日常言語を重んずるようになってから、かつての論理実証主義者の思想も大きく変わった場合が多い。この変化後の思想を分析哲学とよぶが、いまでも、分析哲学とは違った傾向の哲学者は、分析哲学まで含めて、「論理実証主義」という呼び名を使うようである。実は、論理実証主義者は党派性や体系性を好まないので、その思想内容をひと口にまとめていうことはむずかしいが、経験科学を重んずること、言語分析の方法を重視すること、形而上(けいじじょう)学に対して否定的であることが、共通の特色であるといえよう。また、現在でもなお人工言語の役割を重視する分析哲学者がアメリカなどにいて、彼らは論理的再構成主義者とよばれることがある。

 さて、分析哲学より前の論理実証主義者の多くは、当時のラッセルたちの論理主義の数学基礎論の成功に目を奪われ、命題はすべてその正しさが命題の構造だけから一義的に決まるもの、いわゆる「分析的命題」と、その正否の決定に経験が必要な「総合的命題」とに分かれること、この2種類の命題の区別は、普通の言語表現による場合はかならずしもはっきりしないが、論理記号に適当に述語記号をいくつか付け加えて得られる人工言語によってすべてを表現しようとすれば、この区別は命題の表現の形からただちに明らかになること、また、この人工言語で表現できないような命題は、普通のことばでは書くことができるにしても実質的な内容を欠くものであること、を主張した。その主張の仕方が性急であったため、独断的な点、不整合な点を指摘されることになった。ウィーン学団はナチス・ドイツによるオーストリアの合併以後、政治的な弾圧を受けて解散状態になったが、そのような外的事情がなくとも、いま述べた独断性と不整合性のゆえに、論理実証主義は滅びる運命にあったのだと考える人も多い。事実、かつての論理実証主義者のなかに、この二つの欠点を指摘する批判者が現れたのだった。

 しかし、1950年代になり、フランスの数学者の一団が、論理主義数学基礎論のプログラムの一つ、数学の諸概念を集合論の概念だけを用いて定義することを、ラッセルたちよりも行き届いた形で着々と実現し始めてから、人工言語によって多くの物事を表現しようとする考え方は、哲学以外の分野で力を得るようになった。この傾向の哲学への逆輸入の結果の一つが、先に述べた、アメリカを中心とする論理的再構成主義である。

 また、コンピュータの出現以後、コンピュータに処理できることばで人間の心の働きを記述しようとする認知科学が誕生した。コンピュータに処理できることばとは、結局、論理的な人工言語にほかならない。しかも、コンピュータの利用の可能生は予想外に大きいので、いままで日常言語を使って行われてきたことの大部分は人工言語に移せるのではないかと予想する人も多い。

 このような事実をさして、「論理実証主義の復興」ということがある。少なくとも現代の状況に照らしてこの主義の主張を再吟味することには意味があるとはいえよう。

[吉田夏彦]

『A. J. Ayer ed.Logical positivism (1959, The Free Press)』

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百科事典マイペディア 「論理実証主義」の意味・わかりやすい解説

論理実証主義【ろんりじっしょうしゅぎ】

英語logical positivismなどの訳。シュリックを中心に1920年代に結成された〈ウィーン学団〉の実証主義的科学哲学。マッハの経験批判論とラッセル=ウィトゲンシュタインの論理思想の影響のもと,ライヘンバハらの〈経験哲学協会〉派と協働しつつ,哲学の仕事は科学の命題の論理的分析にあると考え,従来の形而上学の命題等,直接に検証不可能な命題は無意味だとしてこれを排斥した。第2次大戦中から英米に活動の中心が移り,また日常言語の分析や社会科学的分析の領域にも関心が拡大されて,英米系の分析哲学や論理学諸派の形成にあずかった。
→関連項目アベナリウスウィーン学団エアーカルナップ経験批判論経験論実証主義プラグマティズムミーゼス

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「論理実証主義」の意味・わかりやすい解説

論理実証主義
ろんりじっしょうしゅぎ
logical positivism

特に L.ウィトゲンシュタインの影響のもとに,ウィーン学団が展開した哲学の思想とその運動。認識の根拠は経験による検証であり,命題の意味とはその検証の方法にほかならない。したがって検証不可能な形而上学の命題は無意味であると主張。自然に関するすべての認識は,一つの言語で表現され,したがって科学の統一は可能である。哲学者の任務は言語学的であり,哲学は言語の批判,すなわち言語の分析と分類を行い,理論ではなく活動であるとした。 1938年ナチスの迫害で学団のメンバーは大部分がアメリカなどへ亡命し,運動は国際的となったが,主義そのものは論理経験論へと解消した。

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世界大百科事典(旧版)内の論理実証主義の言及

【エアー】より

…オックスフォード大学,クライスト・チャーチ・カレッジの出身。卒後ウィーン大学で何年かを過ごして論理実証主義の動向に接し,後に母校の講師,フェロー,ロンドン大学教授を経て,1959年オックスフォード大学教授。36年刊の《言語・真理・論理》によりイギリスでの論理実証主義の代弁者となる。…

【科学哲学】より

…かくして現れた最初の科学哲学が,マッハ,ポアンカレ,デュエムらの科学者による科学論であり,そして,1930年前後のウィーン学団の新しい活躍の中で,〈科学哲学〉という名称が現代的な意味において徐々に定着していくことになるのである。
[科学哲学の課題]
 (1)科学的世界観の確立 現代の科学哲学は1930年代の論理実証主義の勃興を機に始まったと考えられるが,そこでまず急務とされたのは,過去の形而上学的世界観を排して,科学に基づく新しい世界観を確立することであった。そのために,実証的,経験的命題を認識の唯一の根拠として許容するという厳しい態度がとられ,そこで,経験的命題をほかから識別する規準,いわゆる経験的意味の検証規準が規定される必要があった。…

【感覚】より

…マッハは伝統的な物心二元論を排し,物理的でも心理的でもない中性的な〈感覚要素〉が世界を構成する究極の単位であると考えた。その思想は論理実証主義によって展開され,〈感覚与件理論〉として英米圏の哲学に浸透した。〈感覚与件sense‐datum〉の語はアメリカの哲学者J.ロイスに由来し,いっさいの解釈や判断を排した瞬時的な直接経験を意味する。…

【経験論】より

…この試行錯誤でも感覚に訴えることが基であり,ここから経験を感覚ないし感性の対象界に限定する感覚論,感性的現象界に制限する現象論,感覚ないし感性によって事物の措定(そてい)や定立を確証する実証主義が経験論の主流として成立する。19世紀末以来のプラグマティズム,20世紀前半以来の論理実証主義は現代の経験論に数えてよい。前者の代表者の一人W.ジェームズは直接に経験されるものおよびその関係を純粋経験とし,純粋経験はその外部の別の経験との関連であるいは物的存在あるいは心的存在と呼ばれると見,感性的経験論を根本的経験論へと徹底させ,初期の西田幾多郎に影響を与えた。…

【現象主義】より

…日本では大森荘蔵の〈立ち現れ一元論〉が現象主義の一つの到達点を示している。また,現象主義はマッハを経由して初期の論理実証主義に大きな影響を与えたが,〈プロトコル命題論争〉を通じてしだいに物理主義に取って代わられた。現在では現象主義には,感覚与件を唯一の直接的経験と見なすことの是非をはじめ,感覚与件の私秘性が独我論を帰結しかねないこと,物理的事物に関する命題が有限個の感覚与件命題には分析しつくせないことなどさまざまな難点が指摘されており,その先鋭な主張は後退を余儀なくされている。…

【実証主義】より

…実体間の力の授受の関係を予想する原因・結果の概念はもとより,精神や物質という概念,したがって心的・物的の区別さえもが排除され,ただ一つ経験に与えられる基本的事実である〈感覚要素〉相互間の法則的連関の記述だけが科学的認識の目的として指定されることになる。1920年代には,このマッハの伝統の上に,B.A.W.ラッセルやウィトゲンシュタインによって完成された論理分析の方法を採り入れたウィーン学団によって論理実証主義が提唱され,30年代以降これがイギリス,アメリカに移され,現代哲学の主流の一つとなった。実証主義がこのように肯定・否定両様に解されるのも,そこで考えられている〈事実〉が何を指しているかによる。…

【シュリック】より

…ベルリン大学でM.プランクの下で物理学を学んだのち,ウィーン大学に移り,カルナップを呼びよせて〈ウィーン学団〉を創設,みずからその中心人物として活躍した。その思想は〈論理実証主義〉と呼ばれ,マッハの実証主義とB.A.W.ラッセルの論理主義をウィトゲンシュタインの哲学の下で結合したものである。倫理学においては功利主義をとなえたが,今日のわれわれにとって重要なのは,彼が初めて,命題の意味とはその検証方法であるという〈意味の検証理論〉を明確に打ち出したことである。…

【戦間期】より

…日常性の容赦なき破壊という点で,シュルレアリストは革命運動と相通ずるものをもっていたから,彼らの中で共産党に入党し,そこにとどまった者も少なくなかったが(L.アラゴン,P.エリュアールなど),それ以上の数が党の集権的統制に幻滅して,そこから離れた。 同じように,同時代人の思想のうちに刻印を残した哲学的立場として実存主義論理実証主義をあげることができよう。前者は社会的分裂と政治的崩壊の時代を生きる現代人の不安と孤独をみつめ,そこから真の主体性確立の契機を引き出そうとするもので,M.ハイデッガー,K.ヤスパースがその代表者であった。…

【直観】より

…したがって,例えば〈点〉や〈線〉といった語が使われるにしても,それらの語は,公理の中で指定されている関係を満足させる任意のものを代表しうるのである。こうして,例えば20世紀の初めに出現した論理実証主義やある種の分析哲学では,直観としては経験的直観だけが認められ,概念の本質などに関する問題は,語が各体系の中で整合的に使われているかどうかという言語使用の問題に還元されるに至った。言語の意味とはその使用規則なのであり,言語の理解も,意味の直観といった心的過程ではなく,一定の規則に従った言語の使用能力と解されるわけである。…

【分析哲学】より

… ラッセルに影響を与えたウィトゲンシュタインは《論理哲学論考》(1922)において,ラッセルよりもさらに徹底して世界を単純・独立な〈事態〉の複合として,〈事態〉をまた〈対象(実体)〉の連鎖としたが,それは世界を完全に明瞭に表現したときの言語表現に〈示される〉ものと考えた。20年代の後半から30年代にかけて盛んとなった論理実証主義は《論考》時代のウィトゲンシュタインから大きな影響を受けたが,一方先鋭な実証主義,反形而上学,科学主義とくに物理学主義をもって知られる。しかし論理実証主義者,とくにその代表者カルナップは《論考》の思想を規約主義的に変形して理解し,哲学的活動を一種の言語分析として規定した。…

【マッハ】より

… 彼の死後1928年にはシュリックを議長に〈マッハ協会〉が結成され,これが後の〈ウィーン学団〉の母胎となった。そのためマッハはウィーン学団の盟祖と目されるが,事実彼の哲学はウィトゲンシュタインと並んで,論理実証主義および統一科学運動に多大な影響を及ぼした。また当時,ロシア社会民主労働党内部にボグダーノフA.A.Bogdanovを中心とするマッハ哲学の信奉者が増え,正統派マルクス主義に対抗する勢力となったため,レーニンは《唯物論と経験批判論》(1905)を著してこれらの観念論的傾向を〈マッハ主義〉の名の下に厳しく論難した。…

※「論理実証主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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