最新 心理学事典「臨床心理学」の解説
りんしょうしんりがく
臨床心理学
clinical psychology
最初に臨床心理学が統一された専門活動として社会的に認められたのは,第2次世界大戦後のアメリカにおいてであった。そこで,臨床心理学の活動が正式な専門活動として社会制度の中に位置づけるための法制度,教育訓練システム,倫理などが整えられた。
【臨床心理学の定義】 アメリカ心理学会American Psychological Association(APA)では,このようにして社会に認知された臨床心理学を「科学,理論,実践を統合して,人間行動の適応調整や人格的成長を促進し,さらには不適応,障害,苦悩の成り立ちを研究し,問題を予測し,そして問題を軽減,解消することをめざす学問である」と包括的に定義している。この定義からわかるように臨床心理学は,人間行動がどのように維持発展されるかについての科学的探究にかかわる科学性と,人間の苦悩を生み出す状況を改善し,問題を解決していく臨床実践にかかわる実践性の両者から構成される学問となる。臨床心理学の教育訓練においても,科学的探究と専門的援助実践が重要な2本柱とされ,科学者であることと実践者であることの両者を兼ね備える科学者-実践者モデルscientist-practitioner modelが基本モデルになっている。したがって,臨床心理学は,臨床実践を行なう実践活動,科学的探究を行なう研究活動,さらに実践と研究を社会的な活動として位置づけていくための専門活動から構成されることになる。
臨床心理学の歴史の浅い日本では,未だに心理療法やカウンセリングの学派の理論を中心に臨床心理学を考える傾向が強く残っているため,臨床心理学としてのまとまりは弱く,科学的視点の導入も遅れている。臨床心理学を統合的構造として発展させるためには,実践活動を核におき,それに加えてアメリカの臨床心理学の定義が示すように科学的な研究活動と専門活動も発展させていかなければならない。
【実践活動】 実践活動は,現実生活においてなんらかの問題が生じた場合,問題の解決(問題の予防を含む)をめざして問題の当事者,または関係者が臨床心理機関に来談することから始まる。まず問題は何かを査定するアセスメントを行ない,その結果から問題解決に向けての方針を立て,実際に問題に介入interventionしていく。したがって,実践活動は,心理アセスメントpsychological assessmentと介入によって問題の解決を行なう作業となる。心理アセスメント(略してアセスメントともいう)とは,「対象となっている事例(個人または事態)について,関連する人物のパーソナリティや状況,および規定因に関する情報を系統的に収集,分析し,その結果を総合して問題を成り立たせているメカニズムについての仮説を生成する過程」と定義できる。つまり,アセスメントは,対象となる問題の成り立ちを明らかにする作業であり,そのアセスメントの結果に基づいて介入方針を定め,実際に問題解決をめざして介入していくのが実践活動である。介入方針を定め,さらに実際に介入する際の技法を選択するのに参考とするのが,精神分析療法psycho analytic therapy,行動療法behavior therapy,クライエント中心療法,認知療法cognitive therapy,認知行動療法,家族療法,コミュニティ心理学などさまざまな心理療法psychotherapyの理論モデルである。介入技法の選択については,心理療法の効果研究(後述)によって,どのような問題にはどのような心理療法が有効であるのかが明らかになりつつあり,その成果はインターネットなどで公表されている。その点で,有効な介入をするためには,後述する研究活動の知見を参照することが必要となる。介入方法としては,心理療法だけでなく,心理教育psycho-education,コンサルテーションconsultation,サポート・ネットワークsupport networkの形成,デイケア,リファーなど,さまざまな方法がある。また,個人への介入だけでなく,集団(グループ)を対象とする場合,家族や学校などのシステムに介入する場合,あるいは地域のコミュニティの変革をめざすといった場合もある。これと関連して現在では,医師,看護師,教師,社会福祉士,行政職など他職種とチームを組む多職種協働による介入が重要となっている。
このような多職種協働の枠組みとなるのが,生物-心理-社会モデルbio-psycho-social modelである。医療領域では長期間にわたって疾病の生物医学モデルが支配的であったが,近年その偏りや限界を指摘し,それに変わるものとして提案されたのがこのモデルである。生物-心理-社会モデルでは,多様な要因が絡み合って病気や不健康といった問題が成立しているので,問題には複数の専門職がチームを組んで問題に取り組むべきであるという見解が前提となっている。生物的要因としては,神経,細胞,遺伝子,細菌やウイルスなどが挙げられ,生物学,生理学,生化学,神経・脳科学などから得られた医学的知見に基づき,医療職による手術や薬物治療などの生物医学的アプローチが採用される。心理的要因については認知,信念,感情,ストレス,対人関係,対処行動などが挙げられ,心理職による心理療法や心理教育によって自己の病気や環境に適切に対処できるように認知や行動の仕方を改善していく認知行動的アプローチが採用される。社会的要因については家族や地域の人びとのソーシャル・ネットワーク,生活環境,貧困や雇用などの経済状況,人種や文化,教育などが含まれ,患者を取り巻く家族のサポート,活用できる福祉サービス,経済的なものも含めての環境調整など,社会福祉職による行政的アプローチが採用される。
【研究活動】 臨床心理学が真の意味で社会の要請に応え,専門活動として社会に根づいていくためには,研究活動によって活動の有効性を社会に示していくことが必要となる。具体的には,現場における臨床実践から有効なモデルや理論を生成し,その有効性を実証し,その成果を他の専門領域や行政に向けて提示していくことが研究活動の課題となる。
臨床心理学研究には,大きく分けて三つの系譜がある。第1は,心理学そのものの起源ともなっている実験法の系譜である。これは,パブロフPavlov,I.P.のレスポンデント条件づけの原理を行動異常の形成に適用したワトソンWatson,J.B.らの実験研究を起源とする。その後にオペラント条件づけやモデリングなどが加わり,さらに近年では認知心理学などの成果も加え,認知学習の原理を臨床に適用することによって認知行動療法の技法を開発する研究として発展してきている。また,近年では介入技法の効果を実験的に評価する一事例実験などの効果研究としても発展してきている。第2はキャッテルCattell,J.M.やビネーBinet,A.の個人差の測定研究を起源とする調査法の系譜である。相関法の開発と,その適用としての知能検査や人格検査(とくに質問紙法)の開発を中心として発展してきた。最近では認知心理学の成果を取り入れ,認知の偏りを測定するアセスメント技法,神経心理学的検査や脳科学の手法を用いた検査などが発展を遂げつつある。第3は,フロイトの治療実践に基づく臨床研究を起源とする臨床法の系譜である。個別の事例に対する臨床実践を具体的に記述し,精神分析やクライエント中心療法といった心理療法の理論モデルを提案する事例研究として発展した。
以上の三つの系譜は,それぞれ重なりつつ臨床心理学研究として発展してきた。実践活動を核とする臨床心理学では,研究者が対象との間に関係を構成し,現実にかかわっていくことが活動の基本となる。その点では実践性が重視され,科学性がいくら高くても個別の具体的事例に対して実際に有効な対応ができなければ意味がないと言える。しかし,同時に具体的事例に対して介入の有効性が科学的に示される介入技法を採用しなければならない。その点では,科学性が重視される。
このように臨床心理学の研究活動では,実践性と科学性をどのように両立させるかがテーマとなっていた。1942年にオルポートAllport,G.W.は,人格の研究には科学的な法則定立的方法だけでなく,個性記述的方法も重要であることを指摘した。初期の心理療法,とくに精神分析では個性記述的な事例研究によって理論の正当性を主張していた。それに対してアイゼンクEysenck,H.J.は,1952年に科学的根拠のない心理療法を批判した。このような科学性と実践性の対立に関してアメリカの臨床心理学は,科学者-実践者モデルを教育訓練モデルとして採用し,両者を併せもつことを臨床心理学の基本構造とした。さらに,1970年代以降,介入の有効性を測定するメタ分析などの効果研究が発展し,1980年代以降の臨床心理学の統合を促進する要因となった。効果研究outcome studyとは,実際に介入効果があるのかどうかを検討する研究である。1970年代より一事例実験,ランダム化比較試験,メタ分析,プログラム評価研究などによって,臨床心理学の実践効果が実証されてきた。その結果,心理療法には効果があることが明らかとなっている。現在は,どのような要因が心理療法の効果を上げるのかを巡って研究が進んでいる。このように効果研究を重視し,有効性が実証された介入法を採用することをエビデンスベイスド・アプローチevidence-based approachとよぶ。
なお,科学性の理論的根拠である論理実証主義に対抗して,1980年代には社会構成主義が提案され,それとの関連で質的研究法が発展してきた。その結果,臨床心理学研究においても,プロセス研究,会話分析,ナラティブ研究,ライフヒストリー研究,フィールドワークといった,質的研究の新たな方法が展開しつつある。
【専門活動】 臨床心理学が社会活動として認められるために必須となるのが専門活動である。専門活動としては,教育訓練プログラム,倫理,規約と法律,運営組織を形成することが課題となる。専門活動が充実することで,臨床心理学の活動を社会システムの中に位置づけることが可能となり,臨床心理学を実践する専門職professionalを社会的資格として制度化する条件が整うことになる。
このような臨床心理学を実践する専門職の制度化を最も早く確立したのがアメリカである。第2次世界大戦以前は,アメリカにあっても臨床心理学が社会的活動として十分に認知されていなかった。しかし,第2次世界大戦後,戦場からの帰還者に多数の戦争神経症が見られ,しかも既存の医療職だけでは対応しきれなかったため,退役軍人会が患者の治療に心理学の専門家の採用を決定した。それが,社会制度として臨床心理学が認知される最初の契機となった。1945年には心理学に関する最初の法律がコネチカット州で制定され,1946年には退役軍人会と国立精神保健研究所が臨床心理学の教育訓練プログラム確立のための助成金を出した。1949年には,アメリカ心理学会が中心となってコロラド州ボルダーで大学院の教育訓練プログラムに関する会議を開催し,そこで科学者-実践者モデルの採用を決定した。これは,心理学の博士号(Ph.D.)と1年間のインターンを臨床心理士の資格取得の前提条件とするものであった。1953年にはアメリカ心理学会は,倫理基準を設定した。このように第2次世界大戦の終了から10年の間にアメリカでは,臨床心理学を専門活動として社会制度の中に組み入れる基本的枠組みを確立し,臨床心理学が専門活動として発展する基礎を確立した。
イギリスでは,1995年にイギリス心理協会によって認定された心理職が国民保健サービスNational Health Service(NHS)に採用され,広く国民のメンタルヘルスを担う専門職として活動している。日本においても1995年に文部省(当時)によってスクールカウンセリング制度の試験的導入が開始され,(財)日本臨床心理士資格認定協会によって認定された臨床心理士clinical psychologistをはじめとする心理職が採用され,臨床心理学の専門活動が社会に求められるようになった。
【臨床心理学の歴史】 ウィットマーWitmer,L.は,1896年にペンシルベニア大学に心理クリニックを開設するとともにアメリカ心理学会の年次総会で初めて「臨床心理学」という語を用いた講演を行なった。これが,臨床心理学の誕生といわれる出来事である。ウィットマーの恩師は,個人差を測定する精神検査を開発して心理測定学を発展させたキャッテルであった。キャッテルは,心理学の創始者であるブントWundt,W.のもとで博士号を取得し,相関法の創始者であるゴールトンGolton,F.にも学んでいる。また,ウィットマー自身もブントのもとで博士号を取得している。このような経緯からもわかるようにウィットマーの心理クリニックは,実験心理学や差異心理学で得られた「心」に関する科学的知見を,知的障害や学習困難の児童の診断と矯正教育に応用したものであった。したがって,当初の臨床心理学は,科学的な志向性の強い心理学の系譜にある学問として成立したことになる。しかも,近代化や科学の発祥の地であるヨーロッパではなく,当時の新興国であったアメリカにおいて成立したのであった。
ウィットマーが臨床心理学という名称を用いたのと同じ頃,フロイトは,フランスの精神病理学者シャルコーCharcot,J.M.の催眠術研究に影響を受け,1900年に『夢判断』を著わして無意識の心理学を発展させた。臨床心理学の発展には,この精神分析学の発展が大きくかかわってきた。1909年にフロイトは,アメリカの心理学者ホールHall,G.S.に招かれてクラーク大学で講演をしている。その後,精神分析学は,心理力動論psychodynamicsとしてアメリカの臨床心理学に取り入れられ,ウィットマー流の心理測定学をしのぐ大きな影響力をもつようになった。また,精神分析学は,投映法の開発にもつながり,アセスメントの領域にも大きな影響を与えた。
精神分析学の影響力に対して,臨床心理学は精神分析学からの影響を排して客観性や科学性に重点をおくべきだと主張したのが行動療法behavior therapyであった。1920年にワトソンは,ロシアのパブロフが見いだしたレスポンデント条件づけの原理を行動異常に適用した例を報告し,これが行動療法の起源となった。1950年代初期にオペラント条件づけの原理を適用して精神病者の行動変容をめざしていたスキナーSkinner,B.F.によって行動療法の定義がなされ,それが発展の契機となった。
また,1940年代にロジャーズRogers,C.R.のクライエント中心療法client-centered therapyが新たな介入法として注目された。1940年代から1970年の終わりまでに家族療法family therapy,コミュニティ心理学community psycology,認知療法cognitive therapyなど,さまざまな介入方法が提案された。さらに,1980年代に入るとアメリカの『精神障害の診断と統計の手引き』第3版(DSM-Ⅲ)が登場し,治療の有効性について証拠に基づく実証的議論が必要との認識が高まった。それに関連して新たなアセスメントの方法が提案されて,アセスメント領域での発展が活発化した。その結果,1990年代には認知行動療法cognitive behavior therapyを中心とした生物-心理-社会モデルによる臨床心理学の統合が進行した。他方,実証性重視とは異なる方向として,1980年代後半から1990年代にかけては,社会構成主義などの革新的なパラダイムの影響もあり,ブリーフセラピーやナラティブセラピーといった新たな介入方法を探る動きも活発化し,臨床心理学で用いられる理論モデルは多様なものとなっていった。
このような実践活動の理論モデルの広がりとともに,心理療法の有効性を検証する研究活動も発展した。アイゼンクは,多数の文献をレビューして発表した1952年の論文で,心理療法による神経症の回復率(精神分析で45%,他の心理療法で64%)は自然治癒率(72%)を下回るとして心理療法の効果に疑問を呈した。それに対してバーギンBergin,A.E.は,自然治癒率は30%前後であり,心理療法による回復率は60%として,アイゼンクの見解に反論した。この論争が一つの契機となり,エビデンスベイスド・アプローチが発展することになった。心理療法を実施する介入群と介入しない統制群とにランダムに割り当てて,介入効果を検討するランダム化比較試験による効果研究が盛んに行なわれるようになり,その成果は心理療法の効果のエビデンスとして蓄積されるようになっていった。
1970年代後半には,スミスSmith,M.らによって多数の効果研究の結果を統合し,介入群と統制群の差異を標準化して効果サイズとして示す統計的手法してメタ分析が提唱された。スミスらは,心理療法の有効性を表わす値である効果サイズを0.68とし,その有効性を示した。また,1980年代に入ると,シャピロShapiro,D.A.らは,介入対象の症状や介入方法によって効果サイズが異なることを明らかにした。これによって「心理療法は有効かどうか」という議論から,「どのような問題(症状)には,どのような介入法が有効か」ということが,臨床心理学の主要なテーマとなるに至った。
このようなエビデンスベイスド・アプローチは,臨床心理学の発展過程に大きな影響を及ぼすことになった。かつては,創始者の偉大さや理論の正当性をよりどころにして「どの学派の心理療法が有効か」といった議論が学派間においてなされていたが,エビデンスベイスド・アプローチに基づいて個別の問題に有効な介入法を探る臨床研究が盛んに行なわれるようになった。効果研究の結果,多くの精神症状や心理的問題に対して認知行動療法の有効性が確認された。その結果として,1980年代以降,欧米の国々では認知行動療法を軸として心理療法の序列化がなされ,臨床心理学の統合と体系化が進んだ。 →心理アセスメント →心理療法 →精神分析 →精神分析療法 →認知行動療法
〔下山 晴彦〕
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