最新 心理学事典 「精神分析療法」の解説
せいしんぶんせきりょうほう
精神分析療法
psychoanalytic therapy
【発見の歴史】 フロイトは当初,生理学者として出発した。彼自身神経症的な諸症状があり,父親が亡くなってから問題が深刻になったために,自分自身の夢を媒介として分析することで,その症状が治癒した。夢の分析手法を手に入れて彼が描いたのが『夢判断Die Traumdeutung』(1900)であり,その手法は精神分析の基本的な手法となっている。
大学の研究職を辞して,開業医になったフロイトは,多くのヒステリー患者と出会うが,その中で精神分析療法の原型ができあがる。先輩の内科医ブロイアーBreuer,J.との会話から,ベルタ・パッペンハイム,通称「アンナ・O」というヒステリー患者のことを知る。その女性は父親の病気を看病しているうちにヒステリーを発症したが,家庭医であったブロイアーが催眠術をかけ,自分の過去を思い出すことで症状が軽快した。彼女はそれを「煙突掃除」「おしゃべり治療」と語り,ブロイアーはその方法をカタルシス(浄化)法と述べた。またフロイトは優秀な生理学者であったフランスのシャルコーCharcot,J.M.のサリペトリエール病院に留学して,ヒステリー患者への催眠療法hypnosisを見て,無意識が意識下に存在することを発見する。さらに開業したフロイトの所に訪れた患者に対してカタルシス法に近い形で前額法,つまり患者の額に手を当てて過去の外傷体験を想起させる方法を施した。そしてヒステリー患者エリザベート嬢のことばから示唆を得て,自由連想法を開発した。彼はエリザベート嬢に前額法を施行し,いろいろと問いただしていた。だがあるとき彼女は「考えの流れを邪魔しないでください」と訴えたのである。そこで想起を強いることをやめて,なんでも思い浮かぶままに話させる自由連想法free associationを創始した。こうして夢分析から自由連想法が方法論として確立した。寝椅子に患者を横たわらせて,毎日のように患者のことばに耳を傾け,分析することで,神経症性の障害に対して治療を行なう基本原則が完成していった。
【技法の発展】 フロイトは精神分析の方法論を完成してから,分析治療を続けていくうちに神経症がただ外傷的な記憶だけによって成り立っているという仮説を捨て,外的な記憶よりも無意識の願望,衝迫,欲動への動き,またこれらの衝動が表層に現われる際の回路の方に強調点を移した。そして自分自身が夢分析で発見したエディプス・コンプレックスが人間の心の無意識にある重要な心的組成物だとみなすようになった。技法の基本原則は1910年代に完成するが,メタ心理学と名づけるモデルを構築する努力を続けた。さらに1923年になると,彼は理論的なモデルの変更を加えて,構造論,つまり自我ego,超自我superego,エスEsという心的装置論を発展させた。また欲動については,リビドーlibidoの一元論から出発して,自我保存本能から生の本能(エロスEros)と死の本能(タナトスThanatos)とを仮定して,その装置論を補強した。こうした理論的な発展は,精神分析によって発見された臨床的な事実を,モデルとして理解するうえで加わった変更であり,フロイト以後も発展が続いている。
フロイト以後技法そのものも,さまざまな臨床領域に徐々に拡張されている。古典的な精神分析の基本設定は,寝椅子を用いて,週4回以上(毎日分析)で,分析家が匿名性を守るなどの基本原則に沿って行なわれる。そのため設定に変更は加えられるが,精神分析では基本的に構造そのものに臨床的な意味をもつと考えて,治療状況,治療的な場,治療構造といった概念が活用されてきた。その設定の中で治療的な退行が起きて,その退行の中で分析家がその構造を維持して,患者を長期間にわたって抱えることに意義を見いだしてきた。その設定を基本とするなら,臨床の対象(たとえば,統合失調症)や年齢(たとえば,子ども)によって変更が加えられる。ちなみに,精神分析的心理療法は週1回から3回程度対面法で行なわれることが多い。
技法的な変更は,その適応範囲によっても加えられる。子どもへの精神分析は児童分析child analysisとよばれるが,当初子どもに精神分析を適用することに疑問も多かった。クラインKlein,M.とアンナ・フロイトFreud,A.の間で繰り広げられた論争は,主に児童分析の手法を巡ってのものであった。アンナ・フロイトは子どもを精神分析するためには,特別な導入の時期が必要だと考えたが,クラインは,直接子どもに自由連想は可能だと考え,児童分析に関連してスモール・トイ技法small toys techniqueという技法を開発した。クラインの技法は子どもがおもちゃで遊ぶことを自由連想と等価とみなす技法であり,目の前に起きているやりとりを直接解釈できるようになった。クラインらの影響で作られた臨床的な技法は,フロイトの時代のように連想が終わった後にその解説を伝えるというかたちではなく,目の前で起きている連想に今ここで介入する技法をもたらし,今日の精神分析における「今ここで」の転移の解釈技法につながっている。クラインとその学派は,精神病へと分析の理解を広げて,人間の精神発達全体に組み込まれている「ポジションposition」という概念化を行なって,統合失調症,躁うつ病といった病態が人間の発達過程の中に組み込まれているので,そこからの原初的な防衛の結果として説明できるようになった。その後のクライン学派Kleinianは,原初的な防衛機制の理解,そして心のあり方についての理解を深めている(Hinshelwood,R.D.,1989)。
また重症の精神障害に対する技法的変更もある。フロイトの同時代のフェダーンFedern,P.は,統合失調症の臨床から,自我境界の脆弱な精神障害の人たちには自由連想法をやめ,陽性の(転移)関係を構築することを目標とするべきだと述べた。似たような意見はアメリカで同じく統合失調症の治療者であったサリバンSullivan,H.S.が提唱している。サリバンは人間の発達を対人関係のルールを内在化して対人関係を発展させていくものと考えたので,彼の発想は,今日の対人関係論,あるいは関係論的な精神分析につながっている。
フロイトの同時代で,さまざまな技法的な変法を試みたフェレンチィFerentzi,S.とランクRank,O.がいるが,フロイトの毎日分析技法を長期的に用いるのではなく,短期に精神分析的な方法を効果的に終わらせることで,治癒を促進しようとする技法が考案された。短期療法は,1970年代にダーバンルーDavanloo,H.とマランMalan,D.が共同でシンポジウムを開いて,短期に集中的に介入する力動的な技法として整備されていった。とくにダーバンルーのセミナーを訪れた多くの後継者たちが,その技術を,今日まで発展させている(Davanloo,1980)。
また精神分析はアメリカで力動的な精神医学として一大潮流になるが,ハルトマンHartmann,H.らの自我心理学egopsychologyは,葛藤外の自我領域,自我の自律性に着目するもので,自我機能の査定を中心とした力動的な診断や査定の方法,あるいは診断的な心理テストの方法は,自我心理学の流れの中で作られていった(Rapaport,D.,1951)。アメリカでは精神分析を取り入れた力動的精神医学は,第2次世界大戦後に一大潮流になり,精神医学の基準になった。その後,生物学的なあるいは『精神障害の診断と統計の手引き』(DSM)などの記述的な精神医学へと移行する中で,精神分析はパーソナリティ障害の発見と理解に寄与してきた。とくに境界性パーソナリティ障害,あるいは自己愛性人格障害といった概念を形成する基盤となって,その患者たちのための治療的な介入のモデルを作り出している(Kernberg,O.,1975)。
フランスではラカンLacan,J.がフランス思想の構造主義的な発想を導入することで,フロイトを読み直し,「無意識は言語のように構造化されている」などの読解を行ない,言語と無意識の新しい関係から精神分析を実践した。その中で治療に切断=中断を持ち込む短時間セッションは物議をかもし,国際精神分析協会との亀裂を生み,独自のグループを形成したが,理論と臨床のオリジナリティが高く,その後もフランス精神分析にも,そして国際的にも影響を与えつづけている(Fink,B.,1997)。
【転移と抵抗】 フロイトは「本当の意味の精神分析の歴史は,催眠術を放棄するという技術上の改新をもって初めて始まる。…精神分析の理論は神経症者の苦悩の症状をその患者の生活史の中におけるその根源にまで引き戻して見てゆこうという試みをしているときに,はっきりした姿で,しかも思いもかけない仕方で生じてくる二つの経験を理解できるようにしようとする試みに他ならない。それは転移と抵抗という事実である。この二つの事実を認め,その事実をその仕事上の出発点として取り上げる研究の方向を取るもの」(『精神分析概説』)を精神分析とよぶという。
転移transferenceは,幼児期や過去の対人関係や対象関係が,現在の治療者との関係に持ち込まれることで,当初フロイトはそれを障害物と考えたが,しだいに治療にとって不可欠な要因とみなすことになる。
抵抗resistanceは精神分析を行なっている間,自由に連想できない,思い浮かばないなどの現象として現われる。抵抗現象は,心理検査場面では主にユングJung,C.G.が開発した言語連想検査における連想阻害などの現象に見いだされるが,フロイトは精神分析を発展させることでさまざまな抵抗を見いだす。それらはおおよそ五つに分類されている。①抑圧抵抗:深層部分が明らかになるに従って,抑圧された主題が想起されることに対して抵抗する。②転移抵抗:幼児期の衝動にまつわる葛藤が分析家との間で反復されるかたちで表われるために,しばしば,治療を発展させることが難しくなる。精神分析における過去の復活が生み出す転移を,介入しつつ取り扱うのは分析家の重要な仕事とみなされている。③疾病利得による抵抗:症状のもっている利益の側面に同化することで生じる抵抗で,病気にとどまろうとする現象として生じる。④エス抵抗:精神分析の進行に従って,新しく獲得された理解や関係よりもより衝動的なものに戻ろうとする,欲動に基盤をおいた抵抗が生じる。⑤超自我抵抗:患者の罪悪感や処罰欲求に根ざしたもので,うまくいきそうだと,それは自分にとっていけないことだと思うことで生じる。抵抗の分析結果は,自我心理学の流れの中では,最初に,基本的に治療の対象となる。
フロイトは,ヒステリー患者のドラの事例研究症例以後,精神分析で生じる現象を転移と密に関連して理解するようになった。神経症は転移を介して治療者との関係の中に持ち込まれ,転移神経症が作られ,その神経症を取り扱うことで治癒が生じるとみなすようになった。そのため転移の概念は拡張され,①患者と治療者の間の治療同盟などの陽性の関係,②過去の偽装した反復,分析家に向けられている幼児的な感情と態度の出現,それはしばしば分析の進展の妨害要因となる,③防衛の転移,あるいは心的な働きの外在化という,内的な心のパターンが治療の中で展開することを指す,④過去の再現として,分析家との関係において示す不適切な思考,空想,情緒を含む,不合理な不安やパーソナリティの一部を指す,⑤患者の分析家に対する知覚に影響を与えるような内的対象関係の外在化を意味する,⑥分析家に対する患者の関係性のすべての側面を含む,患者の分析家とのかかわり方のすべてを過去の関係性の反復とみなす,といった意味を含むようになっていった。今日,転移を浮彫にするための分析家の働きかけは,患者によって連想された素材をはっきりとさせるための明確化の質問と,主な治療的介入である無意識的背景についての解釈interpretation,患者が繰り返しているパターンについて直面化confrontation,および患者のこれまでの人生についての再構成reconstructionである。
【逆転移と関係論】 フロイトは当初,分析家の心の中のコンプレックスや葛藤が精神分析への抵抗になり,障害になるとみなした。患者の理解に対する盲点になるからである。あるいは,分析家も患者への転移を起こし,患者が分析家の幼児期における重要な人物の現時点での代理になることがありうる。そこには患者への分析家の投影も含まれるが,古典的には精神分析家は自分自身も訓練の分析を受けているので,その盲点を減らす努力を続けていることで,この問題から自由になれると考える。クライン学派が発展させた投影同一化projective identificationあるいは外在化externalizationという概念を用いるなら,患者の側の外在化もしくは投影同一化の結果として,分析家は,患者の自己の一面,あるいは対象の一面の担い手であるような反応を体験すると考える。ある種の患者たちは特別な転移を向けるので,分析家に反応せざるをえなくさせる。分析家と患者の双方が相互作用の中に巻き込まれるので,分析者の側が,患者の承認を求めたり,患者-分析者関係によって分析家に不安が生じたりすることで,コミュニケーションの障害が生み出されると考えるようになった。この場合,逆転移countertransferenceは,患者の精神病理や転移を浮彫にする査定的な役割を担う。クライン学派およびイギリスの独立学派(中間学派)は,投影同一化を共感や同情と同じ心的メカニズムとみなすようになることで,この査定的な役割を治療的な役割をもつものと考えるようになる。つまり分析家のパーソナリティ特徴あるいは分析者の人生の出来事は分析の仕事に反映され,また患者との治療に困難をもたらすこともあるし,もたらさないこともあるが,患者が転移によってこれまでの対人関係や対象関係を持ち込んでいるとすれば,分析家が患者に対する自分自身の感情に注目しながら面接を続けることで,自分自身の共感の限界とともに,分析家の患者に対する適切な,あるいは正常な情緒的反応を提供する機会にもなる。これは共感や理解の基盤として,重要な治療の道具になりうると考えるようになった(Heimann,P.,1950)。クライン学派のこの発想・技法は,ビオンBion,W.やジョセフJoseph,B.といった人びとが「今ここで」の転移解釈技法として発展させている。
転移も逆転移も障害とみなされることから出発して,治療の道具とみなされるようになった。転移のように,幼児期の関係性が持ち込まれるだけではなく,実際に認知や行動全体が反復して持ち込まれている,あるいは外在化を行動化とよぶが,これまでセッションの中で生じる行動化と治療室外での行動化とを分けていたが,この概念も近年実演(エナクトメントenactment)とよばれ,分析家との間で生じる転移や逆転移と密接に関連した現象であり,そこで分析家がどのように行動あるいは解釈するのかが重要だとみなされるようになっている。
コフートKohut,H.の自己心理学,ストロローStorolow,R.らの間主観性理論,サリバン以後の対人関係論,スターンStern,D.の乳幼児研究やその延長線上におとなの対話リズムほかを調べるボストン・グループの治療的コミュニケーションの研究などが統合されて形成されている大きな流れを通称して関係論的精神分析とよぶ。それらの臨床は分析家と患者のつながりや交流を促進して,関係を重視していく点で共通しており,その流れの中では,治療関係の中での情緒的な体験が,乳幼児期の親子のコミュニケーションと同じような過程として提供されると考える傾向がある。
【訓練と教育,研究】 国際精神分析協会が形成されてから当初は,精神分析家の資格はフロイトおよび周辺の人たちが決めていたが,1923年にフロイトが病に倒れてから,ベルリンをはじめとして精神分析のインスティテュートが各地に設立されるようになった。その後インスティテュートは,教育と研究の機関として今日も高度な臨床的な訓練を提供している。そこでは精神分析のトレーニングのために,①訓練分析:分析家の候補生が週4回以上精神分析を受ける,②統制(指導)分析:統制された事例をスーパーバイザーから指導を受ける,③教育セミナー:理論と技法のセミナーを受ける,といったシステムが整備されている。日本では独自の日本精神分析学会と国際精神分析協会の支部である日本精神分析協会が併存しており,前者では精神分析的心理療法が中心で,後者は精神分析家(および精神分析的な心理療法家)を養成している。精神分析の効果についての研究は,以前から盛んに行なわれてきたが,近年では社会からのエビデンスベイスド・アプローチの要請を受けて,精神分析がだれにどのように適用して,どのような効果をもたらすのかについての研究が行なわれるようになっている。 →精神分析
〔妙木 浩之〕
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