翻訳|stress
警告反応と訳される医学、生物学用語。生体に有害刺激が加わると、脳の特定部位や下垂体前葉の分泌細胞の活動が高まり、それによって副腎(ふくじん)皮質刺激ホルモン(ACTH)の分泌が増加し、その結果、血中の糖質コルチコイド濃度が上昇する。この下垂体前葉―副腎皮質系の機能上昇は、有害刺激から生命を守り、生命を維持するためには不可欠なものである。カナダの内分泌学者セリエH. Selyeは、ACTH分泌を増加させる有害刺激をストレッサーstressorと定義した(1936)。これは生体諸機能にひずみstrainを生ぜしめるものという意味であるが、現在このようなひずみをおこすことを含めてストレスとよんでいる。その後、カナダの内分泌学者フォーティアC. Fortierは、ストレッサーをその有害刺激の作用の仕方から、神経性(音、光、痛み、恐れ、悩み)、体液性(毒素、ヒスタミン、ホルマリンなど)、ならびにこれら両者の混合した型の3種に大別した。これらの異常刺激に生体が曝露(ばくろ)されると、生体は視床下部―下垂体前葉―副腎皮質系の活動を高めて循環血液中に副腎皮質から糖質コルチコイド濃度を上昇させて自己を防衛する。その際、ストレッサーは、その種類によって生体にそれぞれ特異的な反応を引き起こすとともに、非特異的な変化を惹起(じゃっき)する。この非特異的変化は、生体がストレッサーに曝露されたときに生体に備わっている防衛機構を刺激して、生体に適応させて生命を維持するものである。しかし、有害刺激があまりにも強いと、適応機能は破綻(はたん)し、ついに疲憊(ひはい)に陥って死に至る。これら一連の反応過程を総括して、セリエは汎(はん)適応症候群general adaptation syndrome(GASと略す)と名づけ、次の三つの時期に区分した。
第一期には二つの時期がある。初めにストレスを受けると、生体は強いショック状態(血圧の低下、心臓機能の低下、骨格筋の緊張や脊髄(せきずい)反射の減弱、体温の低下、意識の低下など)に陥る。これがショック期とよばれる時期である。ついでストレス刺激により、視床下部から副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン(CRH)が放出され、これが下垂体前葉からACTHを一般体循環に放出する。このACTHが副腎皮質に作用して副腎皮質ホルモンの一つである糖質コルチコイドの分泌を促進する。この時期を警告反応期といい、生体の防衛機序が働き始める時期である。
第二期は、第一期を経過して、ストレスに対する生体諸機能を有機的に再構成し、ストレスに耐え、適応するようになる時期で、抵抗期ともいう。第三期は、ストレスがさらに持続し、生体の適応機序に破綻を生じ、生体諸器官が協調的に機能しなくなり、生体の恒常性が失われる時期である。この時期を疲憊期ともいう。
ストレッサーによって刺激された視床下部―下垂体前葉―副腎皮質系の活動によって放出された糖質コルチコイドは、〔1〕間葉組織の炎症反応に対して細胞のリソゾーム膜を安定化させる作用(抗炎症作用)、〔2〕筋その他の組織における糖新生作用、ならびに肝臓に直接作用することによって糖新生に関与する一連の酵素の合成を賦活(ふかつ)する作用、〔3〕他のホルモン、たとえば甲状腺(せん)ホルモン、成長ホルモン、性ホルモン、インスリン、カテコールアミンなどの効果を増強する作用があるとされる。これらの作用によって、ストレスに曝露された生体諸機能のひずみは正常状態に戻る、というのがセリエの考えである。
しかし、その後の研究から、セリエの学説には問題点のあることが明らかにされ、現代では古典的なものになっている。
[川上正澄]
生体の生存している生体外部の環境がきわめて変化に富み、刺激も多いにもかかわらず、生体の内部環境は恒常的に維持されている。このことは、19世紀の後半にフランスの生理学者ベルナールC. Bernardによって発見された。この内部環境の不動性こそ、生命を維持するうえに必要なものである。この内部環境の特性を、アメリカの生理学者キャノンW. B. Cannonはホメオスタシス(恒常性)とよび、これを保つ仕組みには視床下部―交感神経―副腎髄質系が大きな役割を演じていることを明らかにした(1927)。この系を刺激する生理的要因には、感情の激動、痛み、寒さ、酸素欠乏、飢え、激しい筋作業など多くのものがある。このような因子がストレッサーとして生体に作用すると、視床下部―交感神経系が刺激され、副腎髄質からアドレナリン、ノルアドレナリンが血中に放出される。これらのホルモンは、両者にわずかな差異はあっても、ともに心臓機能の亢進(こうしん)、血圧上昇、骨格筋への血流増加、血糖(血液のブドウ糖)の血中への増加をもたらし、筋活動に必要なエネルギーの供給、脾臓(ひぞう)収縮による循環血流への赤血球放出増加、気管支の平滑筋の弛緩(しかん)による呼吸気量の増加、立毛(鳥肌)などをおこす。これらの変化がおこることによって、生体は非常事態に遭遇した場合でも、生体を防衛するための可能な限りの努力が払えるわけである。キャノンはこれらの事実から、生体が非常事態に直面したときには、主として交感神経―副腎髄質系の活動によって生体を危機から防衛することができると考え、緊急反応理論emergency theoryを展開した。この副腎皮質の働きは、動物がストレス環境にない場合には生命維持に必須(ひっす)ではないが、ストレスに曝露された場合には必要となる。一般にACTH分泌を増加させるような有害刺激は、交感神経―副腎髄質系の活動も高める。このACTHとアドレナリンやノルアドレナリンのようなカテコールアミンとの協同活動については不明な点が多いが、血中糖質コルチコイドがカテコールアミンに対する血管の反応性を維持することはわかっている。また、カテコールアミンは遊離脂肪酸を血中に遊離させる作用を促進するほか、生体がストレス刺激を受けて緊急状態に置かれた場合には、エネルギー源としても重要な働きをもつことが明らかにされている。
[川上正澄]
ストレスとその適応症候群の考えは、動物の個体群生態学にも大きな影響を及ぼした。アメリカのクリスチャンJ. J. Christianは、ノネズミなど哺乳(ほにゅう)類の個体数変動の機構を、セリエのストレス学説によって説明しようと試みた(1950)。すなわち、大発生により食物の欠乏、すみかの不足、闘争など個体間の干渉の増大がおこると、これらがストレッサーとなって作用し、生殖機能の低下、出生率の低下、死亡率の上昇がおこり、個体数の減少に至るというものである。セリエのストレス学説と同様、クリスチャンのこの説明にも、その後さまざまな批判がなされ、修正が加えられてはいるが、現在でも個体群の動態を生理学的に解明しようとするもっとも有力な仮説とされている。
[町田武生]
ストレスは元来は機械工学的な用語で,物体を圧縮したり引き伸ばしたりしたときにその物体に生じる〈ひずみ〉を意味するが,1936年H.セリエによってストレス学説が提唱されて以来,この語はしだいに流布し,現今では日常用語化している。その邦訳語は〈負荷〉であるが,ほとんど用いられず,外来語のまま使用されている。
セリエは生体が外傷,中毒,寒冷,伝染病のような異なった種類の刺激にさらされた際,刺激の性格のいかんにかかわらず,ある種の一様な反応が生じる事実に注目した。この反応は脳下垂体-副腎皮質系の内分泌系統が関与して成立するもので,もともと生体の防衛あるいは環境の変動に対する適応的な反応であると考え,汎適応症候群general adaptation syndromeと命名している。このような反応の原因となる刺激はストレッサーstresserまたはストレス作因という。セリエのストレス学説によると,生体が脅威となるストレッサーにさらされると,警告反応期,抵抗期,疲憊(ひはい)期の3期の反応が順次起こる。警告反応期は生体が防衛反応を開始する時期で二つの相がある。最初のショック相は防衛体制が不備で,まだ十分副腎皮質ホルモンが分泌されないため,血圧低下,体温低下,胃・十二指腸の潰瘍化傾向,無尿,血糖値低下,アドレナリン分泌などが起こる。これにひきつづいて抗ショック相となると,副腎皮質刺激ホルモン,副腎皮質ホルモンの分泌が高まり,上記の諸反応は逆転し生体の抵抗力は高まる。そのまま生体への脅威が去らなければ,抵抗期に入り適応状態を保つ。あまりに刺激が長期間つづけば,適応を持続できなくなって疲憊期になり,諸反応は失調状態となる。これは一種の過剰反応である。過剰反応は病因的に作用して悪循環も形成される。セリエは,高血圧症,胃・十二指腸潰瘍,糖尿病,リウマチ性疾患などの一部はこのようなストレスの過程に起因すると考えた。このセリエの汎適応症候群の概念は,基本的にはW.B.キャノンのホメオスタシスのそれと一脈通じるものがある。
ストレスの原因となるストレッサーとしてはさまざまな要因がある。それは,(1)寒暑,放射線,騒音,種々の化学物質などの物理化学的要因,(2)飢餓,寄生体の侵入,過度の肉体運動,睡眠不足,妊娠などのような生物学的要因,(3)精神緊張,恐怖,興奮などの生じる社会的要因,である。すなわち個体にかかわる外的・内的なありとあらゆる要因が刺激となりうる。人間はつねに対人的な環境のなかにあり,他者との関係に敏感であるので,われわれが日常受ける最大のストレスは対人的な社会的要因に属するものである。しかも人間は現在さらされている脅威に対して反応するばかりでなく,過去に体験した脅威の記憶や,将来襲ってくるかもしれない脅威を予想することによっても上記のような反応を起こしうる。このような事情で人間は下等動物よりもストレスに満ちた生活をしているといえる。ネズミやサルのような実験動物を身体的な自由を拘束しておぼれない程度に水中に浸すと,それがストレッサーとなり短時間のうちに胃に潰瘍をつくることができる。このようなストレス潰瘍は簡単に治癒する。人間にとってストレスとなり病因的にはたらく刺激は通常は長期にわたる持続的なもので,持続的な精神緊張,解決困難な欲求不満や葛藤のごときものである。個体の側でこれらの問題を心理的に適切に処理できるときは精神的な適応という。不適応におちいると上述の生理学的な反応系の作用によって,胃・十二指腸潰瘍,高血圧,ある種の糖尿病のような病気を生じる。このように心理的なストレスで身体疾患が生じた場合が心身症と呼ばれ,心身医学の対象となっている。また,この心理-身体的な因果関係はいわゆる心身相関にかかわる主要な部分を占めている。なお,ホロビッツJ.Horowitzはストレス反応症候群という用語を導入しているが,そこには心身症以外の神経症,心因反応,精神病などを含んでいて,広義である。さらに,ストレスにより病気が生じると,ストレスの源となった脅威よりも,その結果としての病気のほうが個体にとってはいっそう脅威となる事実のあることはストレスの意義を大にしている。
執筆者:永島 正紀+野上 芳美
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…症状の起き方,治癒に至る経過などにより急性胃潰瘍と慢性胃潰瘍とに分けられる。急性胃潰瘍は,ストレス潰瘍や明らかな血流障害をきたす血管性潰瘍を含み,がまんできないような激しい上腹部痛や吐き気,嘔吐を伴って発症し,出血も起こしやすいが比較的早く治癒する。
[発生原因]
胃炎説と血管障害説が原因として唱えられているが,単一の原因では説明しきれず,まだ不明な点も多い。…
…副腎皮質ホルモンは生命維持に不可欠なホルモンであるが,ACTHはその分泌を調節している。精神的あるいは肉体的ストレスに出会った場合,視床下部あるいはさらに上位の中枢から刺激を受けてACTHの分泌が増加し,その結果,副腎皮質ホルモンの分泌が促され,生体は新たな環境に適応しようとする。つまり,ACTHは,ストレスから生体を守る働きをするホルモンである。…
…カナダに帰化し,45年からモントリオール大学の実験医学研究所長兼教授。1936年以降,汎適応症候群general adaptation syndromeという新しい概念を提唱して国際的に高く評価されたがこの中にストレスという言葉が用いられているので,これは一般に〈ストレス学説〉とよばれている。ストレスとは,外界から心身へいろいろな傷害や刺激が加えられると,体内に種々の非特異的な生物反応が起こることをいい,その機序として脳下垂体‐副腎系のホルモン分泌が深く関与すると説く。…
…(94年の虚血性心疾患の対10万年死亡率は74人,脳卒中は97人,うち脳梗塞は54.4人である)このように,近年日本においても虚血性心疾患や脳梗塞,いいかえれば動脈硬化性疾患が増加の一途をたどっているという事実は,大都市の一部において食餌性の高脂血症に伴った虚血性心疾患がみられ,しかも30歳代の心筋梗塞をしばしば経験するようになったことからも十分うなずける。
[動脈硬化の危険因子]
動脈硬化症の成因は多元的なものとみなされており,高脂血症などの体液因子,血管壁の代謝異常や高血圧による局所的因子,食事組成やストレスなどの社会文化的条件,それにこれら多元的な因子の根底に遺伝的因子が存在している。(1)高脂血症 血清中の脂質分画のうち,一つまたはいくつかの成分が正常範囲をこえて増加した状態をいう。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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