改訂新版 世界大百科事典 「興隆遺跡」の意味・わかりやすい解説
興隆遺跡 (こうりゅういせき)
Xīng lóng yí zhǐ
中国,河北省興隆県寿王墳地区で1953年に発見された鉄器鋳造遺跡。出土した遺物は戦国時代後期に属するものが主で,戦国時代燕国の鉄器鋳造遺跡と考えられている。鉄器を鋳造するには一般に陶笵を用いたが,興隆遺跡からは多数の鉄笵が出土している。鉄笵の利点は,連続使用にたえ,鋳成された器物にあまり加工を加える必要がなく,生産能率と資力節減の効果があるところにある。興隆遺跡の鉄笵は40対87点あり,钁(かく)笵,鋤笵,鎌笵,斧笵,鑿笵,車具笵がある。これらの鉄笵も鋳鉄を笵に流してつくられた鋳物である。笵には複雑な複合笵があり,外形の設計は鋳造時に各部分の温度を平均に保つようにしてある。また鋳物の変化を防止するための加強構造をとり,金属の型芯を採用している。鋤の笵の場合,平板の鋳型と鋤形をした鋳型を合わせ,それと四角錐形の鉄内心とを,まわり3ヵ所の枘(ほぞ)で固定していた。大きさは通長18.6cm,上幅6.9cm,腰幅20.5cm,下幅23cmほどである。钁,鎌,斧,鑿などの鋳型の上には鋳造所を示す名称である〈右廩(うりん)〉の銘がすべて鋳込まれていた。興隆遺跡では,鉄笵のほか,木炭を含む紅焼土,戦国時代土器片,鉄鉱石砕塊,苆(すさ)入り粘土塊が発見されている。また,鉄笵出土地点の西約1.5kmの古洞溝では,二つの鉄鉱石採石坑の存在が明らかとなっている。いずれの遺構,遺物も戦国時代の鉄器鋳造技術を研究するうえで重要な資料である。
執筆者:飯島 武次
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報