小説家。山口県下関市生まれ。本名原田健司。早稲田大学法学部卒業。在学中は探検部に所属、世界各地の辺境で冒険体験を積む。学部に在籍のまま出版社に入社するが、正式な社員にならないまま退社。マダガスカル、南アフリカ、モザンビークなどを8か月ほどかけて回り、帰国後は別な出版社に勤務。しかしここもまた日々同じことの繰り返しに耐えられず辞表を提出、今度は半年あまりの海外放浪生活をする。だが、さすがにこのときには三十路をすぎており、帰国後の就職はおぼつかず、やむなくフリーに。当時使っていた豊浦志朗名義で『硬派と宿命』(1975)、『叛(はん)アメリカ史』(1977)など海外紛争地域のルポルタージュを発表。また外浦吾郎名義でさいとう・たかを(1936―2021)作の劇画『ゴルゴ13(サーティーン)』の脚本も手がける。1979年(昭和54)『非合法員』で小説家デビュー。続いて『祖国よ友よ』(1980)、『群狼の島』『夜のオデッセイア』(1981)、『蛮賊ども』『血と夢』(1982)と良質の冒険小説を発表、着実に作家としての地歩を固めていくが、その人気を決定的にしたのは『山猫の夏』(1984。吉川英治文学新人賞、日本冒険小説協会大賞)をはじめとする『神話の果て』(1985)、『伝説なき地』(1988。日本推理作家協会賞)の「南米三部作」および『猛(たけ)き箱舟』(1987)であった。歴史の記録に残される「正史」に対して、否応なく抹殺されていく「叛史」というのは、この現代にあっても陸続と生み出されている。船戸与一はそうした陰の部分の現代史に視線を据え、叛史を生み出したものの正体を暴き出す。と同時に、状況の最前線では暴力がどのように機能していくのかをさらけ出してみせたのだ。南米三部作は、そんな叛史の担い手たちの民族意識を含めた、現代の混沌(こんとん)と世界の矛盾を物語性豊かに描いた傑作シリーズであった。だが、クルド人蜂起(ほうき)を描いた『砂のクロニクル』(1991。山本周五郎賞)を刊行した後、しばしの脱力感に襲われたと述懐する。作者はそれまで、西欧の覇権主義と帝国主義的な強者の論理によって収奪され続ける第三世界の状況を描いてきたわけだが、東西の冷戦構造が崩壊してから、もはやかつての抵抗と革命が袋小路に陥っていることを実感したからである。その結果船戸は、一度同時代性の意識を離れ、近代民族国家がどのような過程を経て帝国主義を形成するに至ったのかを探る、歴史の探訪者としての道を歩み始める。その結果が『蝦夷地(えぞち)別件』(1995)であり、冷戦終焉(しゅうえん)の影響をもっとも強く受けた現代中国を描いた『流砂の塔』(1998)であった。そして2000年(平成12)、船戸は自らの歴史観の検証と新たな作品世界の構築を『虹の谷の五月』で実践する。この物語の語り手、主人公は13歳の日本とフィリピンの混血児である。少年は、その年齢に見合ったことばしか持ち合わせないはずであるし、それ以上のことを書いては嘘(うそ)になる。また大人たちが少年に向かってむずかしいことを延々と説明、講釈するというのもご都合主義になる。つまり作者は本書において、自ら途方もない枷(かせ)を課して文学的試みをなしたのであった。本作は第123回直木賞を受賞した。
[関口苑生]
『豊浦志朗著『硬派と宿命』(1975・世代群評社)』▽『『虹の谷の五月』(2000・集英社)』▽『豊浦志朗著『叛アメリカ史』(ちくま文庫)』▽『『非合法員』『山猫の夏』『神話の果て』『伝説なき地』(講談社文庫)』▽『『祖国よ友よ』『群狼の島』『夜のオデッセイア』『血と夢』(徳間文庫)』▽『『蛮賊ども』(角川文庫)』▽『『猛き箱舟』(集英社文庫)』▽『『砂のクロニクル』『蝦夷地別件』(新潮文庫)』▽『『流砂の塔』(朝日文庫)』
(2015-4-24)
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
[1973~ ]プロ野球選手。愛知の生まれ。本名、鈴木一朗。平成3年(1991)オリックスに入団。平成6年(1994)、当時のプロ野球新記録となる1シーズン210安打を放ち首位打者となる。平成13年(...
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