日本歴史地名大系 「船町河岸」の解説
船町河岸
ふなまちかし
江戸時代、最上川支流
最上義光が酒田と山形城下を結ぶ最上川舟運を開いた際、船町河岸を設けて城下の外港としたとされる(「願正御坊縁起」願行寺蔵)。近世初期から享保(一七一六―三六)初年頃までは、最上川舟運の実権は酒田と大石田河岸(上流の運送を独占)が掌握し、酒田船と大石田船による上り・下り片運送取決めや、商人荷物、運賃より十分一役を徴収する特権を有していた(「最上川船差配転変之姿」二藤部文書)。この間貞享五年(一六八八)当河岸では問屋五人が一八ヵ条の議定を結び、作り塩・いさば・瀬戸物・茶・古手・小間物などすべての商品に及ぶ蔵敷庭銭を定めている。元禄―享保期(一六八八―一七三六)以後、商品流通の活発化により商人荷物が増加し、上流の上郷商人のなかから大石田の独占に反対し、新たな上郷河岸設置運動が起こった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報