芥川隆行(読み)アクタガワ タカユキ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「芥川隆行」の解説

芥川 隆行
アクタガワ タカユキ


職業
ナレーター

生年月日
大正8年 3月6日

出生地
東京市 芝区白金三光町(東京都 港区)

学歴
慶応義塾大学経済学部〔昭和16年〕卒

経歴
父は計器類の製造・販売を営み、一人息子として生まれる。祖父福沢諭吉の侍医の一人で、父も慶応義塾大学に通い、自身も幼稚舎からの慶応ボーイ。昭和16年大学を卒業して神戸の南洋拓殖に入るが、同年末に入営。北支那方面軍に配属され、以降中国戦線を転戦。士官候補生試験に合格して陸軍中尉となり、斎南の補給廠に勤めているときに敗戦を迎えた。21年復員。23年野球選手の芥田武夫と間違えられて大分県の高校教師となり、国東高校、森高校で教鞭を執った。26年ラジオ東京(TBS)のアナウンサー募集に応募、すでに32歳だったことから願書も受け付けて貰えなかったが、「役者にも老け役がいるから、アナウンサーにも老け役が必要であろう」との審査員の鶴の一声で受験することが出来、同局アナウンサーの第1期生となった。30年ラジオドラマ「新撰組始末記」の語り手に抜擢され評判となったが、32年型破りなアナウンサーぶりが問題となりアナウンス部から配置転換され、35年同局を退社民放第1号のフリーアナウンサーとなった。37年「新撰組始末記」のTBSでのテレビドラマ化が決定すると、原作者の子母沢寛を訪ねて語り台本を自ら書く許可を得、語り手としてドラマを盛り上げた。同番組はドラマの画面に語りを入れる番組作りの嚆矢ともなり、自身も“芥川節”と呼ばれる名調子を確立。以来、ナレーション第一人者として、「水戸黄門」「大岡越前」「キイハンター」「Gメン’75」「スクール・ウォーズ」「西遊記」「木枯し紋次郎」「必殺仕置人」「必殺仕事人」など数々の人気時代劇・ドラマを手がけた。TBSの紀行番組「兼高かおる世界の旅」では、ナレーションではなく、旅行家・兼高かおるの旅の様子の聞き手を務め、30年にわたる長寿番組となった。CMのナレーションでは「黄桜」が有名。また、46年より朝の生ワイド番組「オハヨー日本列島」の司会を務め、番組終了後は「お元気ですか!芥川隆行です」を担当した。ラジオでも、49年よりラジオ関東(ラジオ日本)で「芥川隆行の演歌だヨ!!」を開始、亡くなるまで16年間続く人気番組に育て上げた。

没年月日
平成2年 10月2日 (1990年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「芥川隆行」の解説

芥川 隆行
アクタガワ タカユキ

昭和期の司会者,声優



生年
大正8(1919)年3月6日

没年
平成2(1990)年10月2日

出生地
東京都港区白金台金三元町

学歴〔年〕
慶応義塾大学経済学部卒

経歴
昭和26年ラジオ東京(現・TBS)に入社、アナウンサーとなり、35年退社。芥川企画を設立しフリーで活躍する。時代劇、演歌番組のナレーターとして、名調子“芥川節”で有名。代表番組に「木枯し紋次郎」「必殺仕事人シリーズ」「水戸黄門」などがある。またTBS「兼高かおる世界の旅」は30年続いた。ラジオのパーソナリティとしても数多く出演。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android