20世紀日本人名事典 「芦原義重」の解説
芦原 義重
アシハラ ヨシシゲ
- 生年
- 明治34(1901)年3月4日
- 没年
- 平成15(2003)年7月12日
- 出生地
- 香川県高松市
- 学歴〔年〕
- 京都帝国大学工学部電気工学科〔大正13年〕卒
- 学位〔年〕
- 工学博士
- 主な受賞名〔年〕
- 藍綬褒章〔昭和34年〕,勲一等旭日大綬章〔昭和53年〕
- 経歴
- 大正13年小林一三に人柄を見込まれ阪急電鉄に入社。昭和17年同社の電灯電力事業を引き継いで独立した関西配電に移る。26年電力再編に伴い関西電力が発足すると常務となり、副社長を経て、34年社長。戦後のエネルギー不足を補うため火力発電所で石炭と重油を混焼する研究に取り組んだ他、37年には国内の電力会社として初めて原子力発電の導入を決断し、45年福井県・美浜原発一号機の営業運転にこぎつけるなど電力業界に大きな足跡を残した。同年会長、58年名誉会長に退いた後も代表取締役の地位を保ち“関電のドン”と呼ばれたが、同社や関電会社の首脳陣に親族を登用するなどの“会社私物化”に批判が高まり、62年2月26日取締役会の緊急動議によって懐刀である内藤千百里副社長と共に取締役を解任された。同年6月相談役名誉会長となり、平成10年退任。この間、昭和41〜52年関西経済連合会会長、48年〜平成9年日本万国博覧会協会名誉会長、昭和59年関西新空港会社設立委員長などを歴任し、関西を代表する大物財界人として知られた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報