日本歴史地名大系 「花尻村」の解説 花尻村はなじりむら 岡山県:岡山市旧津高郡地区花尻村[現在地名]岡山市花尻(はなじり)あかね町(ちよう)・花尻(はなじり)ききょう町(ちよう)・花尻(はなじり)みどり町(ちよう)・花尻吉備の中山東南端の山麓に位置する。東は笹(ささ)ヶ瀬(せ)川を限り、対岸は野殿(のどの)村。西は境目(さかいめ)川が備中賀陽郡東花尻村・西花尻村との国境をなし、南は白石(しらいし)村。はなしり・花尻は文明六年(一四七四)五月二八日の福武経通注進状をはじめ吉備津神社文書にみえ、同社の散在社領があった。慶長七年(一六〇二)の小早川秀詮朱印状(黄薇古簡集)で、当村などのうち七七石余が下方覚兵衛に与えられている。寛永備前国絵図に村名がみえ、高二七八石余。 花尻村はなじりむら 兵庫県:三木市花尻村[現在地名]三木市別所町花尻(べつしよちようはなじり)別所町花尻一丁目西這田(にしほうだ)村の西、美嚢(みの)川の下流左岸に位置する。慶長国絵図に村名がみえる。領主の変遷は高木(たかぎ)村に同じ。正保郷帳では田方二五二石余・畑方二七石余。元禄郷帳では高三〇二石余。天保郷帳では高三五七石余。明治一四年(一八八一)の戸数四五・人口一九七(地種便覧)。 花尻村はなじりむら 広島県:御調郡御調町花尻村[現在地名]御調町花尻市(いち)村の東、御調川の南岸に位置する。流域に平坦地が開け、南に山地が連なる。元和五年(一六一九)の備後国知行帳では、高一四四八・九六二石の牛(うし)ノ川(かわ)村に含まれる。旧版「広島県史」所収の正徳(一七一一―一六)頃の記録に村名がみえ、高五六・一四二石。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by