日本大百科全書(ニッポニカ) 「花山天文台」の意味・わかりやすい解説
花山天文台
かざんてんもんだい
京都大学大学院理学研究科附属の天文台。大正時代の急激な近代化によって京都市内の空が明るくなり、京都大学本部構内での天体観測がむずかしくなったため、1929年(昭和4)に京都東山連峰の東に位置する花山山頂に花山天文台が建設された。1958年には、花山天文台と生駒(いこま)山太陽観測所の二つの天文台がともに京都大学理学部宇宙物理学教室から分離して統合し、理学部附属天文台として官制化された。花山天文台では、この当時の主力装置であった30センチメートル屈折望遠鏡と、1960年に建設された60センチメートル反射望遠鏡によって月面のクレーターの研究や、火星の雲・砂嵐の研究が盛んに行われた。また1961年には、国内最大の70センチメートルシーロスタット太陽分光望遠鏡が建設され、太陽の研究が活発になる基礎が築かれた。しかし、京都市東部の山科(やましな)地区の急激な都市化によって夜の観測条件が悪化したので、新天地として1968年に岐阜県上宝(かみたから)村(現、高山市)に飛騨天文台(ひだてんもんだい)が設立され、60センチメートル反射望遠鏡を花山天文台から移転した。その後飛騨天文台には65センチメートル屈折望遠鏡、ドームレス太陽望遠鏡、太陽フレア監視望遠鏡、太陽磁場活動望遠鏡が新設され、観測の主力は花山天文台から飛騨天文台に移行した。2003年(平成15)現在、花山天文台では、18センチメートル屈折望遠鏡Hα単色像撮影装置による太陽活動のルーチン観測を行うとともに、70センチメートルシーロスタット太陽分光望遠鏡と先端的な太陽・天体画像解析システムを整備しており、主として大学院学生の研究と学部学生の教育実習などに活用されている。また1990年代中ごろからは、他大学や高等学校の教育実習にも利用されており、秋には一般公開を実施するなど、市民にも公開されている。
[黒河宏企]
『冨田良雄・久保田諄著『中村要と反射望遠鏡――宇宙物理学の黎明を支えて』(2000・ウインかもがわ)』