勝山館跡(読み)かつやまだてあと

日本歴史地名大系 「勝山館跡」の解説

勝山館跡
かつやまだてあと

[現在地名]檜山郡上ノ国町字勝山

日本海を望む夷王いおう(一五九メートル)の東斜面に築かれた山城跡。国指定史跡上之国脇かみのくにわき館・上ノ国館・勝山城などともいう。夷王山山頂からは北に大成たいせい町、南西には松前町に至る海岸線と奥尻おくしり島や松前大島が浮ぶ日本海が一望され、あまノ川をさかのぼると木古内きこない・松前・函館へと道が通じる陸海交通の要地にある。天ノ川河口は「天河」(新羅之記録)とも記され、また一六一八年(元和四年)アンジェリスが漂着した湊「ツガ(「アンジェリスの蝦夷地図」北海道大学北方資料室蔵)は天ノ川河口に比定されており、無碇むいかりの字地名の残る大澗おおまと一体の港湾をなしていたと思われる。蠣崎氏はこれを擁する勝山館を日本海交易の拠点とし、大いに反映してのちに松前氏と改姓、幕藩体制化で大名に成長する基礎を築いた。当館跡の東方約一キロ、天ノ川南岸に花沢はなざわ館跡、同川北岸に洲崎すざき館跡がある。

「福山秘府」に文明五年(一四七三)「上国館上」に八幡神を祀る館神が造立されたとみえる。現上ノ国八幡宮が明治初期まで勝山館跡内にあり、近世を通じて松前氏が年頭に夷王山や八幡宮に家臣を代参させ、藩主の一代一参を習いとしたことなどから、この上国館は当館のことと考えられている。築造は文明五年以前、松前氏祖武田信広によると推定される。しかし「新羅之記録」や「福山秘府」に「勝山館」の記述はなく、「勝山」の字名が天ノ川左岸、現在の上ノ国市街後背一帯に広がることなどから、勝山の名は信広がコシャマインとの戦に勝利した後、天ノ川北岸に築いた洲崎館に付けられたもので、後年移されたものともされている(続上ノ国村史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「勝山館跡」の解説

かつやまだてあと【勝山館跡】


上之国館跡(かみのくにたてあと)

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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