日本歴史地名大系 「勝山館跡」の解説
勝山館跡
かつやまだてあと
日本海を望む
「福山秘府」に文明五年(一四七三)「上国館上」に八幡神を祀る館神が造立されたとみえる。現上ノ国八幡宮が明治初期まで勝山館跡内にあり、近世を通じて松前氏が年頭に夷王山や八幡宮に家臣を代参させ、藩主の一代一参を習いとしたことなどから、この上国館は当館のことと考えられている。築造は文明五年以前、松前氏祖武田信広によると推定される。しかし「新羅之記録」や「福山秘府」に「勝山館」の記述はなく、「勝山」の字名が天ノ川左岸、現在の上ノ国市街後背一帯に広がることなどから、勝山の名は信広がコシャマインとの戦に勝利した後、天ノ川北岸に築いた洲崎館に付けられたもので、後年移されたものともされている(続上ノ国村史)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報