芳春寺
ほうしゆんじ
芳春寺山にある。山号は発光山、曹洞宗。本尊は十一面観音。泰澄の草創と伝え、初め神岳寺と号し、真言宗であったが、のち曹洞宗に改宗したという(三方郡誌)。「若州管内社寺由緒記」は「禅宗発光山芳春寺、百七十二年以前永正元甲子年永平寺の道元和尚十五世観雲和尚建立也、佐柿城主粟屋越中守勝久の菩提所也、竹林境内諸事御赦免の御墨印、武田公より京極殿の有之、只今は寛永の比住持他所へ持参候由申伝候」と記す。末寺は「若狭郡県志」では佐田の宗寿院・芳泉庵・芳林庵、大田の清芳院・芳伝院、山上の満願寺・松雲庵、北田の東光寺・東禅寺、菅浜の長継寺・光明庵・長泉庵、丹生の泰清庵・竜渓院の一四ヵ寺を数える(いずれも現美浜町内)。
芳春寺
ほうしゆんじ
[現在地名]武生市高瀬二丁目
高瀬の北東部、河濯社の西南にある。河濯山と号し、臨済宗大徳寺派。本尊は大日如来。草創は不明であるが、寺伝によると、江戸時代は河濯大権現の別当寺で、神護寺と号していた。慶安三年(一六五〇)河濯社を再興した本多昌長の死後、その乳母(草顔芳春大姉)が住み、芳春寺と改称した。従来曹洞宗宝円寺末であったが、延宝六年(一六七八)河濯社神酒のことで宝円寺より抗議があり、以後臨済宗(大徳寺末)に改宗している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 