苗木城(読み)なえぎじょう

日本の城がわかる事典 「苗木城」の解説

なえぎじょう【苗木城】

岐阜県中津川市にあった山城(やまじろ)。国指定史跡。江戸時代の苗木藩の藩庁が置かれていた城。遠山氏代々が居城としていた城である。南北朝時代初めの建武年間(1334~38年)に遠山景村が築いたとも、戦国時代の天文年間(1532~54年)に遠山直廉が築城したともいわれる。この城を居城とした遠山氏は苗木遠山氏とよばれ、戦国時代には岩村城(恵那市)の本家の遠山氏、明智城(恵那市)の明智遠山氏とともに遠山三人衆とも称された。苗木遠山氏は織田信長美濃を制圧すると、ほかの東美濃の領主武将と同様、信長に従った。その後、甲斐の武田氏が東美濃に侵攻して、岩村城を攻略して武田氏の美濃の拠点になると、苗木城が織田方の最前線拠点となった。1582年(天正10)の本能寺の変ののち、苗木城は羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)に属した森長可(ながよし)に攻められて落城し、城主遠山友忠は居城を失った。その後、徳川家康のもとに身を寄せていた友忠の子・遠山友政は、1600年(慶長5)に関ヶ原の戦いが起こると、豊臣方の河尻秀長から苗木城を奪い取った。その功績家康から認められ、遠山氏は再び苗木城に入城し、以後、12代270年間にわたって1万石の苗木藩主として幕末まで存続した。苗木城は1万石の大名の居城とは思えない規模の城である。城跡には建物は残っていないが、天守台石垣、堀、曲輪(くるわ)などの遺構が残っている。とくに整備事業で修復・復元された風吹門・大矢倉の石垣は見事である。自然の巨石を利用した天守台に至る縄張りや城主の御殿があった二の丸の瀬石なども、良好な状態で残っている。城山のふもとには、苗木の歴史を紹介する苗木遠山資料館がある。JR中央本線中津川駅からバス、苗木城下車。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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