苗民の乱(読み)びょうみんのらん(その他表記)Miao-min

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「苗民の乱」の意味・わかりやすい解説

苗民の乱
びょうみんのらん
Miao-min

中国,清朝の南西辺境の苗族 (→ミヤオ〈苗〉族 ) の反乱。苗族は中国の四川広西雲南,貴州の各省山地に住む民族で (高地族とも称する) ,地域によりぼく,とう,黎,よう,かと称し,服飾で紅苗,黒苗,青苗,白苗,花苗などともいう。元・明時代から宣撫,招討などの土司を設けたが,その長は世襲で苗族の独立自治権は強大であった。清朝も明の制度を踏襲し土官を設けたが,三藩の乱で土司の果した役割は大きく,そののちも苗族は強大な権限を有し,雍正4 (1726) 年に雲南巡撫となったオルタイ (鄂爾泰)提言に基づき改土帰流の政策が展開され,清朝の政治力が若干浸透した。しかし同 13~乾隆1 (36) 年にかけて改土帰流に反対する反乱が貴州省で展開され,さらに同 60~嘉慶2 (97) 年に紅苗が貴州省銅仁県で漢人を追出し,苗族の地を取戻すことをスローガンに反乱。白蓮教の乱をもかかえていた清朝は懐柔政策で対応した。また咸豊5 (1855) ~同治 11 (72) 年には太平天国討伐軍費のための付加税増徴に端を発した張秀眉 (九王爺) に率いられた大反乱が貴州全省,湖南,広西,四川にわたって展開された。この反乱は太平天国の石達開と合流し,白蓮教徒をも包含した大勢力となったが,太平天国の崩壊ののちに近代兵器による討伐で平定された。苗族の死者は 100万に達したという。

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