日本歴史地名大系 「草横山」の解説 草横山くさのよこやま 佐賀県:鳥栖市草横山九千部(くせんぶ)山(八四八メートル)の南斜面には、構造線に沿って南東に流れる河内(かわち)川(大木(だいぎ)川)・大谷(おおたに)川(安良(やすろ)川)・四阿屋(あずまや)川(安良川)・立石(たていし)川(沼(ぬま)川)・綾部(あやべ)川によって河谷が形成され、山は五本の支脈となって平地に迫る。「肥前風土記」の「佐嘉郡」に、「昔者 樟樹一株 生於此村、幹枝秀高 茎葉繁茂、朝日之影 蔽杵島郡蒲川山、暮日之影 蔽養父郡草横山也」とみえる「草横山」は、九千部山の南峰石谷(いしだに)山から南東に延び洞庵(どうあん)山の丘陵となって終わる、四阿屋川と立石川の谷に挟まれる支脈の峰々に比定される。 草横山くさよこやま 福岡県:筑紫郡那珂川町草横山「肥前国風土記」にみえる古代の山名。同書佐嘉郡条は、日本武尊が樟の巨木の茂り栄える様を見て「佐嘉(さか)」と名付けたという地名起源を載せ、その樟の巨木の影は朝には杵嶋(きしま)郡蒲川(かまかわ)山、夕には養父(やぶ)郡草横山に及んだとする。肥前国養父郡には、現在の那珂川町と佐賀県鳥栖市の境界にある九千部(くせんぶ)山(八四七・五メートル)以外にめぼしい高山はないので、草横山はこの山に比定される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by