荒木田麗(読み)あらきだれい

精選版 日本国語大辞典 「荒木田麗」の意味・読み・例文・類語

あらきだ‐れい【荒木田麗】

  1. 江戸後期女流作家。初名隆。のちに麗と改め、以後麗女または麗子と称す。字は子奇。紫山、清渚と号す。伊勢大神宮祠官の娘。南北朝から安土桃山時代までのできごと雅文でつづった「池の藻屑」、平家一門の興亡を記す「月の行方」などで知られる。享保一七~文化三年(一七三二‐一八〇六

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改訂新版 世界大百科事典 「荒木田麗」の意味・わかりやすい解説

荒木田麗 (あらきだれい)
生没年:1732-1806(享保17-文化3)

江戸後期の女流文学者。伊勢の人。荒木田武遠の女。初名は隆。慶徳家雅に嫁し,紫山また清渚と号す。幼時より学を好み,長じては和歌連歌をよくした。また漢詩国史をも兼修するかたわら,歴史小説等の創作を手がけた。代表作に三鏡(《大鏡》《増鏡》《水鏡》)の文体になぞらえた《月のゆくへ》,《増鏡》の続編ともいうべき《池の藻屑》,《遊仙窟》の翻案小説《藤の岩屋》等がある。同趣の《野中の清水》は,本居宣長の目に触れ,添削批評を加えられたが,反駁(はんばく)して屈服しなかった。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「荒木田麗」の解説

荒木田麗 あらきだ-れい

1732-1806 江戸時代中期-後期の文学者。
享保(きょうほう)17年3月10日生まれ。荒木田武遇(たけとも)の養女となり,西山昌林に連歌をまなぶ。慶徳家雅(いえただ)と結婚。漢詩,連歌にすぐれ,歴史物語,紀行文,随筆など400巻もの著作をのこした。文化3年1月12日死去。75歳。伊勢(いせ)(三重県)出身。初名は隆。字(あざな)は子奇。号は紫山,清渚。作品に「池の藻屑(もくず)」「笠の舎(やどり)」など。

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367日誕生日大事典 「荒木田麗」の解説

荒木田麗 (あらきだれい)

生年月日:1732年3月10日
江戸時代中期;後期の女性。文学者
1806年没

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