荷見安(読み)ハスミ ヤスシ

20世紀日本人名事典 「荷見安」の解説

荷見 安
ハスミ ヤスシ

大正・昭和期の官僚 全国農協中央会初代会長。



生年
明治24(1891)年4月6日

没年
昭和39(1964)年2月22日

出生地
茨城県

学歴〔年〕
東京帝大法学部〔大正5年〕卒

経歴
大正5年農商務省に入り米穀局長、馬政局長官を歴任、昭和14年農林次官。15年退官して産業組合中央金庫(後の農林中金)理事長、29年初代の全国農協中央会会長となった。この間、大正7年の米騒動の処理、食糧増産計画、耕地整理法改正、食糧管理法作成、米の取引所廃止などにかかわる。米に対する造詣が深く、米は国民生活の根本につながるもので商取引の対象にすべきでないという考えを持ち続け、米の神様といわれた。36年の自由米構想には強く反対したことで知られる。著書に「米穀政策論」「米と人生」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 旗手 学歴

改訂新版 世界大百科事典 「荷見安」の意味・わかりやすい解説

荷見安 (はすみやすし)
生没年:1891-1964(明治24-昭和39)

農政指導者。旧水戸藩士である小学校長の家に生まれ,1916年に東大法科卒後,内務省に入り農商務省に転じた。米騒動後の食糧増産計画や耕地整理法の改正を担当,21年に米穀法を立案した。初代の米穀局長として食糧管理法を作成,34年に農林次官となり,40年に退職して,以後は産業組合中央金庫理事長,全国農協中央会長として協同組合運動に専念したほか,日銀政策委員でもあった。古武士肌の性格で,第2次大戦前は過剰米対策,戦争中は不足対策,戦後は食糧増産から米の生産制限対策などにかかわり,米とともに歩んだので〈米の神様〉といわれた。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「荷見安」の解説

荷見安 はすみ-やすし

1891-1964 大正-昭和時代の官僚,農協役員
明治24年4月6日生まれ。農商務省にはいり,初代米穀局長などをへて,昭和14年農林次官。29年初代全国農協中央会会長。官僚時代は米穀取引所撤廃,食糧管理法作成などにかかわり「米の神様」といわれた。昭和39年2月22日死去。72歳。茨城県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「荷見安」の解説

荷見 安 (はすみ やすし)

生年月日:1891年4月6日
大正時代;昭和時代の官僚;農協役員。産業組合中央金庫(後の農林中金)理事長;全国農協中央会初代会長
1964年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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