米穀の需給調節を目的に政府の米穀市場介入を定めた法律。1921年(大正10)4月4日原敬(たかし)内閣により公布施行された。政府は、間接的な米価調節による米穀投機抑制が失敗し、社会不安を惹起(じゃっき)した米騒動の経験から、市場で米穀の直接買い入れ・売り渡しを行い、需給量の調節を図る米価政策に乗り出した。全5条からなるこの法律は、政府による米穀の買い入れ・売り渡しのほか、米穀の貯蔵・関税増減・輸移出入量制限・在庫調査等を定めたもので、政府が米価下落時に財政資金を使い市場から米穀を買い入れて貯蔵し、それを米価高騰時に売り渡すことで米価を一定枠内の水準に維持させた。同法の施行は、高米価を求める地主と低米価を期待する資本家との利害調整のためであると同時に、国民の基本食糧である米穀の需給に対する国家統制の開始を意味するものであった。同法は25年、31年(昭和6)の改正を経て、やがて農業恐慌が深まった33年9月20日に廃止され、より強力な米穀統制法にかわった。
[松元 宏]
『持田恵三著『米穀市場の展開過程』(1970・東京大学出版会)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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[成立]
一般的には,国家による食糧管理を要請するのは食糧の供給不足・価格高騰か供給過剰・価格暴落の発生である。食管法の起点となった米穀法が制定された1921年は米騒動の4年後ではあったが,一方では国民1人当り米消費量のピークへの到達と,他方では国産米生産力増強とともに,植民地朝鮮・台湾での米移出力の強化によって,供給過剰による内地米の価格低下が問題とされ,政府による米穀の売買・加工・貯蔵,輸入税の増減,輸出入の制限等を通じて,米穀の数量調節を行い,米価暴落の防止が目指された。これ以後,昭和農業恐慌対策としての31年の米穀法改正(米穀輸出入の許可制,安定価格帯制度の導入),33年の米穀統制法(最低価格による政府の無制限買入義務),36年の米穀自治管理法(過剰米の市場供給制限のための産地貯蔵)など,38年までは米穀の市場流通を前提とした間接統制を通じた過剰対策が主眼となっていた。…
…第1に国内生産だけでは不足しはじめた米の供給をどうするかということ,第2にようやく顕在化してきた社会問題への対策としての消費者米価の安定,さらに農村対策としての生産者米価の安定である。当初,米輸入関税として始まり,大正年間に米価調節政策として展開された食糧政策は,結局,植民地米増産を中心とする食糧自給政策と米穀法(1921公布)による価格調節・安定策として完成する。米穀法は米穀統制法(1933公布)へと引き継がれ,1935年ころまでの農村恐慌期,米過剰期には米価の一定の引上げ,安定のために機能した。…
…景気と作柄による米価の極端な変動は生産者,消費者ともに打撃が大きいため,米価に対する政策的介入は輸入関税政策のほか,市場に対する政府の介入としては最も早く明治末から始められ,1915年には米価調節令が公布された。それは米騒動以後強められて21年の米穀法(政府が自由市場で米の売買操作をして,間接的に米価の変動を調節する)によって恒久化した。完全に自由放任の米価はそれ以後なくなり,公定価格を定め政府が無制限に米を買い入れる米穀統制法(1933)をへて,米価統制は42年,米の供出・配給制と公定米価を定めた食糧管理法によって流通米全量に対する国家管理として完成した。…
※「米穀法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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