米の先物取引を行う場所で,主として投機的取引を行う市場であるが,現物取引もできることになっている。その役割は,米の流通を円滑迅速にし,米価の適正を保つことにある。その起源は江戸時代に始まる。すなわち,米は国民の常食にされ,かつ当時は租税を米で納めることを原則としていたので,米の豊凶,価格の高低は国民の生活に重大な影響をもっていたにもかかわらず,当時は交通その他文化の程度が低かったので,需給関係,集散状態に著しい変化があり,そのために米価の変動もはなはだしく,投機取引の対象としての性格をもっていた。明治政府の出現によって投機取引は一時中絶したが,米穀商人は,単純な正米取引市場(純然たる現物取引を行う市場で,先物取引は禁止されているもの)だけでは経営上支障が多いので,先物取引市場の再建を大蔵省に申請し,1876年,政府は〈米商会所条例〉を発布,米商会所の名で先物市場が再現して急速に発展し,その後,93年に施行された〈取引所法〉(後に〈商品取引所法〉と改題)にもとづいて,米穀取引所としての組織が確立され,全国的な規模でその役割をはたしてきたが,1939年〈米穀配給統制法〉の施行に伴って廃止された。
→商品取引所
執筆者:多田 誠
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
米の先物取引をする取引所。米を円滑・敏速に流通させ、米価を適正に形成・維持することを目的とした。主として投機的取引が行われたが、実物取引も可能であった。その起源は江戸時代にさかのぼるが、食糧管理体制になり、1939年(昭和14)米穀配給統制法の施行により廃止された。江戸時代後半以降、米は国民の常食となったが、生産・流通が不安定なため、米価の変動は甚だしく、米は米商人の投機取引の対象でもあった。明治政府は米の投機取引を禁止し、純然たる現物取引のみを行わせる正米(しょうまい)取引市場に限ったが、米商人の経営上支障が生じたため、1876年(明治9)の米商会所(べいしょうかいしょ)条例により投機市場を認めた。その後、1893年、取引所法により米穀取引所としての組織が確立し、全国的規模でその役割を果たすようになり、この段階で近代的取引所の姿を整えた。
食糧管理法の改正(1981年)により、1993年(平成5)以降、自主流通米価格形成機構(後の自主流通米価格形成センター。現全国米穀取引・価格形成センター)による入札制度が行われるようになった。さらに1994年には米の流通の自由化を目的として、食糧管理制度が廃止され、食糧法が制定されたが、米の価格は前述の入札制度によって決められた価格を基準に取引きされており、取引所の再現はまだ行われていない。
[森本三男]
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