一般には後鳥羽院(ごとばいん)(院政1198~1221)作の刀剣を菊一文字と称している。この作は御所焼(ごしょやき)とも菊御作(きくのおんさく)ともよばれ、茎(なかご)に菊花紋を刻したものである。京鍛冶(かじ)・備前(びぜん)鍛冶・備中(びっちゅう)鍛冶を御所に召して鍛刀させ、自らも焼入れをしたと伝えられる。そのなかに作風が備前一文字派の作に似ているものがあって、菊一文字の呼称はそれに起因するものであろう。しかし実際にその茎に菊花紋と「一」の字を銘したものは江戸時代の刀工の作で、鎌倉時代の作には皆無である。備前国一文字派の作にも菊花紋の毛彫りをしたものがまれにあるが、これは菊一文字とはいわない。応永(おうえい)年間(1394~1428)の写本である観智院本(かんちいんぼん)『銘尽(めいづくし)』(国立国会図書館蔵)にも後鳥羽院番鍛冶(ばんかじ)の記事があり、また『承久記(じょうきゅうき)』にも、上皇自ら北面武士(ほくめんのぶし)にその太刀を与えたことが記されている。
[小笠原信夫]
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