菊塚与市(読み)キクヅカ ヨイチ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「菊塚与市」の解説

菊塚 与市
キクヅカ ヨイチ


職業
地歌箏曲家(生田流)

別名
別名=菊塚検校(キクズカケンギョウ)

生年月日
弘化3年

出生地
大和国今井(奈良県)

経歴
4歳で失明、文久元年に勾当の職格と菊塚の姓を授与された。初代菊仲検枝に入門。歌と胡弓にすぐれ、また筝曲に洋楽作曲法を取り入れ、数多くの作曲を手がけた。代表作に「新玉の曲」「竹雪の曲」「三つの景色」「明治松竹梅」「春の光」などがある。

没年月日
明治42年 5月7日 (1909年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

関連語 平野

改訂新版 世界大百科事典 「菊塚与市」の意味・わかりやすい解説

菊塚与市 (きくづかよいち)
生没年:1846-1909(弘化3-明治42)

明治時代の盲人音楽家。大阪の菊仲繁寿一(1834-1905)の門人。箏曲における明治新曲運動の代表的作曲家の一人。《千代田の調竹雪の曲》(1901),《明治松竹梅》(1902),《浪花の誉》(1903),《巌上の松》《凱歌の曲》(ともに1904),《三つの景色》(1907)などを作曲。菊塚の姓は,捨次郎(1864-1921),千楽(1903-78),敦子(1930-93)と4世を数える。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菊塚与市」の解説

菊塚与市 きくづか-よいち

1846-1909 明治時代の地歌・箏曲(そうきょく)家。
弘化(こうか)3年生まれ。4歳で失明し,大和(奈良県)から大坂に出,菊仲繁寿一(しげじゅいち)に師事。文久元年菊塚を名のり,勾当(こうとう)となる。明治7年地歌業仲間(のちの当道音楽会)を結成,明治新曲の創作活動の中心となった。明治42年5月7日死去。64歳。通称は菊塚検校(けんぎょう)。作品に「明治松竹梅」「住吉詣」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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