菩提寺村(読み)ぼだいじむら

日本歴史地名大系 「菩提寺村」の解説

菩提寺村
ぼだいじむら

[現在地名]甲西町菩提寺・北山台きたやまだい

正福寺しようふくじ村の西にあり、南を野洲やす川が西流、北は丘陵となり蒲生がもう郡と野洲郡に接する。集落は野洲郡南桜みなみさくら(現野洲町)との境をなす菩提寺山(三五三・三メートル)の東麓に形成される。村名は少菩提しようぼだい寺にちなむ。中世檜物ひもの庄に含まれた。元亀元年(一五七〇)一〇月、六角承禎・義治父子は当地の三雲氏の居城菩提寺城に籠城して、織田信長軍に対抗した(信長公記)。天正元年(一五七三)再び挙兵した六角承禎に呼応して、三雲成持が近郷の土豪を率いて同城に籠城したが(同年一〇月二九日「三雲成持書状」大宝神社文書)、佐久間信盛の軍勢猛攻によって攻め落された(年未詳一二月二四日「六角承禎書状」古証文)

菩提寺村
ぼだいじむら

[現在地名]甘木市菩提寺

持丸もちまる村の南、大平おおひら山の南西麓に位置する。夜須やす郡に属し、南東下座げざつつみ村、南西は甘木村。かつて菩提寺と号する寺院があったことが村名の由来という(「続風土記附録」など)。観応三年(一三五二)書写の安楽寺領注進状に「夜須東郷河島菩提寺」とみえ、正応三年(一二九〇)朝廷から安楽寺(太宰府天満宮)に寄進された夜須東やすとう郷は、当地にあったとされる安楽寺末寺の菩提寺領となっていたと思われる。

菩提寺村
ぼだいじむら

[現在地名]津幡町菩提寺

能瀬のせ川と川の源流地域、菩提寺峰(二四二・二メートル)の南東斜面に位置。東は興津きようづ村。中世は金津かなつ庄と北英田きたあがた保の境界にあたり、菩提山(現菩提寺峰か)をめぐり境界相論があった。正保郷帳では高七五石余、田方二町・畑方三町余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の草高一二五石、免四ツ六歩、小物成は山役二三三匁・蝋役二匁、油役三匁(出来)であった(三箇国高物成帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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