改訂新版 世界大百科事典 「葛野王」の意味・わかりやすい解説
葛野王 (かどののおう)
生没年:669-705(天智8-慶雲2)
飛鳥時代の皇族。天智天皇の子大友皇子と天武天皇の女十市(とおち)皇女の間に生まれた。《懐風藻》によると,王は大友皇子の長子で,685年(天武14)正月以後まもなく,皇族最下位の浄大肆(じようだいし)を授けられ,治部卿に任じられた。696年(持統10)7月太政大臣高市(たけち)皇子の没後,宮中で皇太子を決めるための会議が開かれた。群臣から多くの意見がでて紛糾したとき,王は〈日本は神代以来子孫が皇位を継承してきた。もし兄弟が皇位を継承すれば乱がおきるだろう。天意はだれも推測できないが,人間関係からいえば後継者は当然決まっている〉と述べた。天武の子弓削(ゆげ)皇子が一言いおうとしたが,王が叱りつけて止み,翌年8月文武天皇が即位した。持統は王の功績をたたえて正四位,式部卿にしたが,時に37歳だったという。王の詩が2首《懐風藻》に収められている。
執筆者:原島 礼二
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報