蒋光慈(読み)しょうこうじ

精選版 日本国語大辞典 「蒋光慈」の意味・読み・例文・類語

しょう‐こうじ シャウクヮウジ【蒋光慈】

中国詩人小説家本名は光赤。蒋侠僧ともいう。安徽六安の人。十月革命直後のソ連を放浪、帰国して詩集「新夢」「哀中国」や小説「鴨緑江上」などを発表。左翼文学団体「太陽社」を設立し、中国プロレタリア文学初期の指導者として活躍した。(一九〇一‐三一

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デジタル大辞泉 「蒋光慈」の意味・読み・例文・類語

しょう‐こうじ〔シヤウクワウジ〕【蒋光慈】

[1901~1931]中国の詩人・小説家。もとは蒋光赤と称した。安徽あんき省の人。五・四運動参加、のち太陽社を興し革命文学提唱。詩集「新夢」「中国を哀しむ」、小説「少年漂泊者」など。チャン=コワンツー。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「蒋光慈」の意味・わかりやすい解説

蒋光慈
しょうこうじ
Jiang Guang-ci

[生]光緒27(1901)
[没]1931.6.30.
中国の小説家,詩人,評論家。安徽省六安県の人。五・四運動のとき安徽で活躍し,中国共産党から派遣されてモスクワ東方大学に留学。帰国して革命文学を提唱し,詩集『新夢』 (1925) ,小説『少年漂泊者』 (26) で実作面での先駆をなした。 1927年武漢政府に走ったが,その崩壊後再び上海に戻り,銭杏邨 (せんきょうそん) らと太陽社をつくり「新現実主義」を唱えて魯迅と対立した。 29年来日して蔵原惟人らと接触,帰国後 30年夏入獄したが結核のため出獄,その頃李立三コースをとった党の方針に反対して除名されたことが打撃となり,病勢が進んで死去した。小説『短こ党』 (27) ,『野祭』 (28) ,『リサ哀怨』 (29) ,詩集『戦鼓』 (30) ,評論『ロシア文学』 (28) など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「蒋光慈」の意味・わかりやすい解説

蒋光慈
しょうこうじ / ジアンクワンツー
(1901―1931)

中国の小説家。もとは光赤(こうせき)と名のった。筆名魏克特(ぎこくとく)、華西里(かせいり)など。安徽(あんき/アンホイ)省の人。五・四運動のなかでアナキズムを経てマルクス主義に進む。1921年ソ連に入り社会科学と文学を学んで24年帰国。上海(シャンハイ)大学教授となり『新青年』に「プロレタリア革命と文化」などの論文を書く。国民革命期、創造社に近づき、五・四期の青年の革命化を描いた『少年漂泊者』や上海暴動に参加した革命家群像を描いた『半ズボン党』などを出版、革命後のロシア文学を紹介し、もっとも早く革命文学を提唱。28年太陽社を組織、『太陽月刊』『海風週報』を主編、『最後の微笑』などを出版。29年『リサの哀怨(あいえん)』が党内外の批判を受け、日本に遊ぶ。帰国後、中国左翼作家連盟候補委員となる。李立三(りりっさん/リーリーサン)コースに反対し党を除名され、失意のうちに死す。代表作は死後出版された、国民革命期の農民運動を描く『田野の風』(1932)。

[佐治俊彦]

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百科事典マイペディア 「蒋光慈」の意味・わかりやすい解説

蒋光慈【しょうこうじ】

中国の詩人,作家。本名は光赤。安徽省出身。五・四運動後,ソ連に留学し,帰国後,処女詩集《新夢》を発表,次いで中編小説《少年漂泊者》,短編集《鴨緑江上》,中編《短袴(たんこ)党》などを出した。革命文学運動初期の代表作家。
→関連項目阿英

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