日本歴史地名大系 「蓮城寺」の解説
蓮城寺
れんじようじ
三重川西岸、国道三二六号沿いにある。有智山と号し、高野山真言宗。本尊は千手観音。
文治四年(一一八八)三月一〇日の大法師基覚譲状案(大友文書)に「三重郷内山寺」とみえ、基覚重代相伝の院主職が嫡弟覚秀に譲られている。ただし代々の祖師譲状などの証文は、基覚上洛の折に預けた玉田太郎が宿所火災の際焼失したと称して抑留したとある。ここから当寺は平安時代後期にはすでに創建されていたことがわかる。院主職は文永一一年(一二七四)四月覚仁から舎弟覚智へ譲られ、建治元年(一二七五)八月二四日安堵された(「某下文案」同文書)。弘安二年(一二七九)三月一一日には三重郷での殺生が禁じられ、内山寺敷地内での違犯があれば注進するよう院主に命じられた(「左衛門尉泰能奉書案」同文書)。翌三年一一月二七日には本堂造営に人夫出役などの合力をするよう三重郷中に命じられている(「某下知状案」同文書)。嘉暦年間(一三二六―二九)以前に院主職と免田山野等を相伝所職とする僧素郁と覚実の間で相論があった。素郁の主張によれば、当寺は元来浄行持律僧侶を院主としていたが、素郁が幼少の折に非分の妻帯の身である覚実により押領されたという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報