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藍瑛 らんえい

美術人名辞典の解説

藍瑛

明末・清代の画家。浙江省生。字は田叔、号を([左・虫、右・捷のつくり][諸橋大漢和辞典:33163])叟・研民・東閣老農・石頭陀など。主に杭州を中心に活躍。職業画家であったが、宋・元の画法を研究して、新画風を拓き、浙派の殿将と称された。山水の外、人物・花鳥も能くした。歿年不詳であるが康熙3年(1664)80才の時、なお健在であったという。

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百科事典マイペディアの解説

藍瑛【らんえい】

中国,明代の画家。字は田叔。浙江省杭州の人。宋元諸家を学んで山水で一家をなし,人物,花鳥の類もよくした。浙派の大家とされるが,色彩感に乏しい浙派様式に呉派の色彩感を加味した折衷的画風を創始した。

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世界大百科事典 第2版の解説

らんえい【藍瑛 Lán Yīng】

1585‐?
中国,明末・清初の画家。字は田叔,号は蜨叟,石頭蛇。銭塘(浙江省杭州)の人。山水を得意とし,時流の倣古主義にのっとり,張僧繇以来の多くの古人に倣ったが,職業画家として装飾的画面の構成に最も意を用いた。杭州を中心に活躍し,子の藍孟,孫の藍深・藍濤をはじめ,弟子の劉度,蘇宜など多数が出て,当時の杭州画壇の領袖的存在であった。かつて浙派の殿将とされたが,北宗(ほくしゆう)に固執せず,最も私淑したのは南宗黄公望であった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

藍瑛
らんえい
Lan Ying

[生]万暦13(1585)
[没]康煕3(1664)
中国,明末,清初の浙派 (せっぱ) の画家。銭塘 (浙江省杭州) の人。字は田叔,号はちょう叟 (ちょうそう) ,東郭老農,石頭陀など。浙派の殿将と称され,おもに杭州で売画によっていた職業画家と考えられるが,早く董其昌 (とうきしょう) らに重んじられて杭州の文人とも親しく,西湖の詩社の一員であったと推測されるなど,文人画家的性格が強い。おもに山水を描き,同時代呉派の慣習にならって唐,宋,元の南北両宗にわたる画家を模したといわれるが,形態性や画面構成などは個性的な様式を示し,浙派の影響を指摘できる。子の藍孟,孟の子の藍深,藍濤はみな家法を継承したほか,劉度,蘇宜ら多くの追随者を出した。代表作『山水図』 (個人) 。

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世界大百科事典内の藍瑛の言及

【浙派】より

…しかも画家は錦衣衛の武官の職に任じられ俸給もよかったので職に対する執着もつよく血縁・地縁の関係が顕著になったのである。明末・清初の画家藍瑛(らんえい)は浙派の殿将といわれるが,その画風は著しく文人画風を交じえている。嘉靖末から明末にかけては,実際には宮廷画派と文人画派の区別はしだいにあいまいになりつつあった。…

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