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中国、元(げん)代の在野の画家。没年と出身地には異説がある。呉鎮(ごちん)、倪瓚(げいさん)、王蒙(おうもう)とともに、新しい山水画様式を樹立して元末の四大家とよばれた文人画家の一人。四大家中最年長で、明清(みんしん)の山水画家に与えた影響はもっとも大きい。本姓は陸。字(あざな)は子久。号は一峯(いっぽう)、大痴道人など、晩年に井西道人と号す。江蘇(こうそ)省常熟の出身といわれ、8歳のころ浙江(せっこう)省永嘉の黄氏の養子となる。幼少から聡敏(そうびん)で、やがて百家の学、諸芸に通じ、また全真教(道教の一派)に帰依(きえ)したという。一時仕官したが、権力者と衝突し、江南地方に隠遁(いんとん)して晩年は富春山に住んだ。山水画を描き、初め趙孟頫(ちょうもうふ)に指導され、董源(とうげん)、巨然(きょねん)を学び、米芾(べいふつ)も取り入れ、新しい山水空間を創造して一家をなした。画作を始めたのは50歳ごろからといわれ、数年にして名声を得、80歳ごろに至って円熟した作品を生んだ。台北・国立故宮博物院の『富春山居図巻』は黄公望の真跡として名高い。
[星山晋也]
中国,元末の文人画家。本姓は陸,字は子久,号は一峯,大癡。江蘇省常熟の人。初め中台察使院の属官になったが,連座して入獄し,1314年(延祐1)ころ,帰郷して後,江南各地に遊び,新道教の全真教に入った。作画は50歳ころから始め,董源・巨然を宗とする山水を描き,元末四大家の一人として,後世の呉派,南宗正統派に深甚な影響を与えた。代表作に《富春山居図巻》があり,著に《写山水訣》がある。
執筆者:曾布川 寛
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1269~1354
元の画家。元の四大家の一人。宋の董源(とうげん),巨然(きょねん)の画風を学び,米芾(べいふつ),高克恭(こうこくきょう)の画風を加味し,山水画の一家をなし,四大家中では後世に最も影響を与えた。道教の全真教に入信し,隠遁生活を送った。画論『画山水訣』(がさんすいけつ)を著す。
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…中国,元末から明初にかけて活躍した黄公望,呉鎮,倪瓚(げいさん),王蒙の4人の文人画家。ともに董源,巨然を学び元初の趙孟頫(ちようもうふ)などの復古主義の成果をふまえ,おのおのが強い個性を反映して独自の山水画様式を樹立した。…
…たとえば郭熙の《早春図》は,三遠法を並列的に併せ用いている。他に北宋末期の韓拙は,雲煙の空気遠近法的機能に着目して,闊遠・迷遠・幽遠を三遠とし(《山水純全集》),元末の黄公望は平遠・闊遠・高遠を三遠とした(《写山水訣》)。しかし一般的には郭熙の三遠をさす。…
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