藤原刷雄(読み)ふじわらのよしお

改訂新版 世界大百科事典 「藤原刷雄」の意味・わかりやすい解説

藤原刷雄 (ふじわらのよしお)

奈良時代の官人。生没年不詳。藤原仲麻呂(恵美押勝(えみのおしかつ))の第6子。母は大伴犬養の娘。752年(天平勝宝4)無位から従五位下に叙せられ,遣唐留学生として,大使藤原清河の一行に加わって渡唐した。764年(天平宝字8)の父恵美押勝の乱では,幼少より禅行を修めたゆえをもって,ひとり死を免じられ隠岐に配流となった。のち772年(宝亀3)には本位・本姓に復され,但馬介,但馬守,刑部大判事,治部大輔,上総守,大学頭,右大舎人頭,陰陽頭歴任した。なお《唐大和上東征伝》には鑑真の死を悼む刷雄の詩が撰者の淡海三船らの詩とともにあり,また《経国集》によって刷雄,三船に早くから親交のあったことが知られるので,刷雄は754年の鑑真一行の来日に同行して訳語として活躍し,さらに武智麻呂の伝記も書いた僧延慶と同一人かとする説がある。薩雄(ひろお),あるいは徳一と同一人とする説もあるが,これは謬説であろう。
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朝日日本歴史人物事典 「藤原刷雄」の解説

藤原刷雄

生年:生没年不詳
奈良時代の貴族。藤原仲麻呂と大伴犬養の娘の子。仲麻呂の第6子。天平勝宝4(752)年,遣唐大使藤原清河の一行に加わり留学生として入唐。父藤原仲麻呂の乱(764)の際,若いときから禅行を積んでいたとしてひとり死罪を免れ,隠岐(島根県)に配流。宝亀3(772)年許され,以後但馬守,上総守,大学頭,右大舎人頭などを歴任した。延暦10(791)年には陰陽寮(中務省に属する役所。暦作りなどを担当)の長官に任じられた。『唐大和上東征伝』に唐の学僧鑑真を追悼する五言詩が収められている。<参考文献>岸俊男『藤原仲麻呂』

(増渕徹)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原刷雄」の解説

藤原刷雄 ふじわらの-よしお

?-? 奈良時代の官吏
藤原仲麻呂の6男。母は大伴犬養(おおともの-いぬかい)の娘。天平勝宝(てんぴょうしょうほう)4年(752)遣唐留学生となり渡唐。父の反乱に際しては,禅行をつんでいたとの理由で死罪をまぬかれ,隠岐(おき)に配流。のちゆるされて上総守(かずさのかみ),大学頭(かみ)などを歴任,延暦(えんりゃく)10年(791)陰陽頭(おんようのかみ)となった。

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