日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤原実方」の意味・わかりやすい解説
藤原実方
ふじわらのさねかた
(?―998)
平安中期の歌人。定時(貞時)の子。母は左大臣源雅信の女(むすめ)。父の早世により叔父の藤原済時(なりとき)の養子となった。中古三十六歌仙の1人。侍従、右馬頭(うまのかみ)、左近中将を経て、995年(長徳1)陸奥守(むつのかみ)に任じ、そのまま任地で客死した。陸奥守任官については諸説あって不明であるが、後世、実方と行成(ゆきなり)が口論した際、主上が実方の粗暴なふるまいをとがめて「歌枕(うたまくら)見てまいれ」と断じて下命した(『古事談』ほか)という伝説も派生した。風流貴公子的な一面があり、藤原道綱、道信(みちのぶ)、源重之(しげゆき)らと親交を結んだ。『百人一首』の「かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを」の作者でもある。家集に『実方朝臣(あそん)集』があり、清少納言(せいしょうなごん)と恋愛関係にあったことを示す贈答歌がみられる。
[川村晃生]