藤原栄子(読み)ふじわらの えいし

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原栄子」の解説

藤原栄子(3) ふじわらの-えいし

?-? 南北朝時代,後醍醐(ごだいご)天皇女御(にょうご)。
父は二条道平。母は西園寺公顕(きんあき)の娘。正慶(しょうきょう)元=元弘(げんこう)2年(1332)後宮にはいり,女御,従三位となる。安福殿女御とよばれた。天皇の没後は出家して梅津比丘尼(びくに)と称した。

藤原栄子(1) ふじわらの-えいし

?-? 平安時代後期の女官
葉室顕隆(あきたか)の娘。母は藤原悦子藤原忠隆の妻となり,隆教を生む。崇徳(すとく)天皇の誕生でその乳母となり,大治(だいじ)5年(1130)藤原聖子(皇嘉門院)の立后に際し理髪典侍をつとめた。

藤原栄子(2) ふじわらの-えいし

?-? 鎌倉時代,京極院の母。
洞院実雄(とういん-さねお)(1217-73)の妻。洞院公宗(きんむね),洞院公守(きんもり),亀山天皇皇后となった佶子(きつし)(京極院)を生んだ。従二位。

藤原栄子(4) ふじわらの-えいし

吉徳門院(きっとくもんいん)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典 「藤原栄子」の解説

藤原栄子

生年:生没年不詳
平安後期の女房,崇徳天皇の乳母,典侍。呼称は但馬。鳥羽天皇の権臣藤原顕隆と藤原悦子(弁三位)の娘。夫は藤原忠隆(基隆の子)。天皇誕生の際には,唯一の正式な乳母として参じた。なお,忠隆の妹は後白河天皇の乳母である。<参考文献>『長秋記』

(楢原潤子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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